目的は創作ではなく、ズレの検知である
ある種の人は、「創作が好き」なのではない。
正確に言えば、創作の途中にある特定の工程に強く引き寄せられている。完成の瞬間でも、他者からの評価でもない。それは、外に出てきたものと自分の内側にある感覚とのあいだに生じる、わずかなズレ——そのズレを検出し、言語化し、再び外部に返し、また差分を確認する。その反復そのものが、彼らの没頭の正体である。
こうした人たちは、よく「絵が好きだった」「デザインが好きだった」と語る。だが観察を重ねると、熱中の対象が表現行為そのものというよりも、内部モデルと外部表現の同期プロセスにあることが多い。
そこでの完成物は、いわば副産物に近い。
そこでの主役は、違和感の解消である。
特徴的なのは、認知の流れの構造だ。
一般的な処理が「対象 → 感想 → 評価」という順序を取るのに対し、このタイプは「内部モデル → 外部との差分 → 位相調整」というループを回し続ける。最初から何らかの"完成形の構造"が内側にあり、外界はその比較対象として処理される。だから「なんとなく変だ」で止まらず、「どこがどうズレているのか」を構造的に言語化できる。ズレの輪郭を言葉や形に変えることが、彼らにとっての思考である。
さらに興味深いのは、このプロセスを「能力」として誇ることがほとんどない点だ。
彼らが使う言葉は、たいてい「楽しい」である。
優れているかどうかよりも、ズレが少しずつ揃っていく感覚そのものが報酬になっている。達成感ではなく、収束の手触りが駆動力になっている。
このような認知モデルは、日常においてはときに"過剰"に見えることがある。些細な引っかかりを手放せず、完成したはずのものに何度も戻ってしまう。他者から見れば完了しているように見えても、内側ではまだ位相がずれている。
しかし設計や研究、抽象構造を扱う領域では、このプロセスは極めて有効に機能する。違和感の解像度が高く、それを外部に取り出して検証するサイクルが速い。内部モデルの精度が問われる仕事で、このタイプは静かに強い。
創作が目的なのではない。 自己表現が主題でもない。
内部の未整合が、外部との往復のなかで少しずつ整っていく。位相が揃うたびに次のズレが見える。その工程が続く限り、時間は溶ける。
このタイプの人にとって、没頭とは作品ではなく、発生するズレを追いかけていく「同期」なのである。そしておそらく、同期が完全に終わることは——永遠にない。
著:霧星礼知(min.k) / 構造支援:Claude Sonnet 4.6 / AI-assisted / Structure observation