essay
思考に正しい形はない
— ウラムとノイマンに見る、異種知性の共鳴モデル 思考に「正しい形」があると信じている人は、たいてい一種類の賢さしか持っていない。 スタニスワフ・ウラムとジョン・フォン・ノイマンが面白いのは、二人がそれぞれ全然違う種類の賢さを持っていて、しかもその違いが摩擦ではなく共鳴として働いていたことだ。 ウラムの思考は横に跳ぶ。話の途中で急に別の話をして、気づいたら核心にいる。草みたいな連想、くだらない音遊び、でも次の瞬間には静かに急所を突いている。 それを本人がどこまで意識しているかは怪しくて、おそらく半分は本当に遊んでいる。「風が気持ちいい」と思いながら歩いていたら、いつのまにか目的地にいた、みたいな移動の仕方をする人だ。 ノイマンの思考は違う。座標系ごと回す。ある問題を前にして、突然「こう置くと見えやすいよ」と言う。置き換えた瞬間に構造が透けて見える。派手ではないが、静かに破壊的だ。「風向きをベクトルにすると綺麗だよ」と言う人。 世界を関数として扱える人だが、世界が本質的に関数だとは思っていない。あくまで「こう置くと、はっきり見えて、面白い」というスタンスで、モデルは仮、レンズ