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1000文字前後のライトエッセイ

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さくらももこと、いがらしみきおは、人間関係が長年積み重なった時の「空気感」を書いている。

さくらももこと、いがらしみきおには共通点がある。 それは、人を書いているようでいて、実は「人間関係が長年積み重なった時の空気」を書いていることだ。 世の中には記号的な人物描写がある。 厳格な父親。 自由な母親。 変わり者の友人。 卑怯なクラスメイト。 説明としては分かりやすい。しかし現実の人間は、そんなに整理されていない。 例えば『ぼのぼの』のアライグマくんの両親。 アライグマくんのお父さんは、旅好きの妻に振り回されている。ある場面で彼は「どうせまた行くんだろお前は!」と怒鳴る。するとお母さんは「また行く」と答える。次のコマでは、お父さんが一人で巣穴の中でイライラしている。 これは「自由な母親」と「苦労する父親」の話ではない。 本当に描かれているのは、何度も同じやり取りを繰り返してきた夫婦の空気だ。 お父さんは妻が旅に出ることを止められないと知っている。お母さんも怒られることを知っている。それでも旅に出る。お互いを理解しているのに、理解した上で噛み合わない。 その空気が妙にリアルだ。 ヒグマくんのお父さんも同じだ。 土佐弁で豪快で、筋を重んじる。記号的に描けば「

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本気のストーカー対策:「理想化されない」ための技術

ストーカー対策というと、防犯カメラや通報、接触制限といった話になる。 もちろんそれらは重要だ。 しかし、今回はあえて少し違う方向から考えてみたい。 ストーカー行為の前段階には、多くの場合「理想化」が存在するのではないだろうか。 相手を好きになること、それ自体は問題ではない。 問題なのは、相手そのものではなく、自分の頭の中で作り上げた人物像に執着してしまうことだ。 その上で、ストーカー対策のアドバイスを一つだけするとしたらその答えは、 「スクリーンを叩き割れ」ということかもしれないと思う。 もちろん本当に叩き割るわけではない。 叩き割るのは、「相手が見ている自分の像」である。 人は他人を好きになる時、実際には相手そのものを見ていないことがある。見ているのは、自分の頭の中に映し出された像だ。 優しい人。 理解してくれる人。 自分を受け入れてくれる人。 そうした期待が少しずつ積み重なり、一枚のスクリーンに映像が投影される。 やがてその像は本人よりも大きくなる。 本人は疲れて不機嫌な日もあるし、どうでもいいことで笑うし、面倒くさがりかもしれない。 しかしスクリ

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名前のある関係、名前のつけられない関係

ある時、友人たちと会話をしていて、旅行の計画の話になった。 「パートナーはいるが、お互いに関係に名前はつけていない」という、結婚していない知人が言った。 「自分は旅行の計画をするのが好きだ。旅行の計画をすると、だいたい6割くらいその通りになったら、上手くいったって思うことにしてるんだよ」 それに対して、結婚している友人が返した。 「いいな。自分は旅行をすると、パートナーが計画通りにならないと不機嫌になる。自分は寄り道したりしたいのに、それは許されない。合わせなければいけないんだ」 すると、最初の知人はこう返した。 「パートナーのやりたいことに合わせることもあるよ。でも、自分はパートナーとは結婚していないから、自由にできる部分については、違いがあるのかもしれないな」 これを、なかなか示唆に富んだ会話だ、と横で聞いていて私は思った。 恋人関係や結婚というものは、「名前のある関係」なのだと思う。 関係に形を与え、その関係の中にいる人に、多くの安心を与えてくれるものでもある。 でも、名前のある関係というのは、ある形式の中に、人を押し込めてしまうことがある。 付き合っているんだから

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文章が上手い人ほど、「ほんとうのことを書く」ことが難しくなるのかもしれない

最近、『ほんとうのことを書く練習』(土門蘭:著、ダイヤモンド社、2026年)という書籍が気になっている。 本の概要によると、著者は「ほんとうのことを書く」とは、自分を知ることだ、ということを書いている。著者は、世界はわからないことだらけで、だから死にたいとも思ってきた。それでも「わかること」を書き続ける間は、生きていられると知った。誰かに愛されるためではなく、自分に愛された先の言葉を紡ぐために書く――その一点を、静かに、丁寧に言語化した本、らしい。 私はまだこの本を読んでいない。それよりも、本を取り巻くある現象が気になっていた。 この本へのレビュー評価は、「この姿勢を自分も生きたい」という実践的支持だけではなく、「こういうことを言語化してくれてありがとう」という、“代弁への感謝”がかなり大きいようなのである。 特に、実際に執筆をしている人、つまり「書くことを職業にしてきた人」が、強く反応しているレビューをいくつも見つけた。 レビューを読んでいると、彼らが「ほんとうのことを書けない」のは、才能不足ではなく、職業構造・関係構造・評価構造の問題のようだ。

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LingOrmを見て、芸能界が「スターシステムIP」から「空気感IP」へ変化していると感じた話

最近、LingOrmというユニットにハマっている。 LingOrmは、タイのGLドラマ界で注目を集める女性俳優2人によるペアだ。 作品内の関係性だけでなく、イベントやSNSを含めた「空気感の共有」によって強い支持を得ている。 私はGLドラマというジャンルをしっかり見てきたわけではなかったが、とてもおしゃれなこの二人のファッションを見て、すっかりハマってしまった。 タイのBL・GL文化は、ドラマや音楽、ファンイベントを通じて、「関係性そのもの」を長期的に楽しむIP文化として発展してきた。 特に、俳優同士の距離感や空気感が大切にされており、作品の外側でも「物語の続きを感じさせる」運用が行われているのが特徴だ。 その結果、タイのBL・GL文化は、現実とフィクションを完全に切り分けず、「曖昧さごと楽しむ」独特のファンダム文化として成立している。 こうした文化は、外から見ると、どうしても最初はSNSを利用したファンサービスや、カップリング商法、疑似恋愛IPのように見えやすい。 もちろん、産業構造としてはそういう側面もある。 ただ、その上に乗っている「空気」はかなり独特だ。 タイのGLには

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喧嘩がないのは、相手に深い関心がない証拠かもしれない。

ここのところ、自分が人に比べて、悩んだり悲しんだりすることが多いことに疲れていた。 けれど最近は、悩んだり悲しむことができてることに感謝したいと思っている。人に優しくなれる。優しくなりたいからそうしてるのだと。 そこに辿り着くのに、相当なものを経てきたな、と自分で思う。 諦めでも強がりでもなく、本当に視点が動いたという実感がある。 正直悩んでない人に比べて、自分は損してると思ってた。でも、こういうふうに悩んでるから自分は人に優しくなれるのだ、とふと思った。 それがちゃんと体で腑に落ちた、という感じ。 怒ったりしないとか、悩んだり悲しんだりしないということは、ある場面では多分、他人に関心が持ててないということでもあるんじゃないか。 そう言った感情の痛みを知ってるからこそ、他人の痛みに気づける。他者に共感したり関心が持てるのは、自分の中にそれと響き合うものがあるから、ということ。 逆に、意識してるかはともかく、怒ったり悩んだり悲しんだりと言った、摩擦がない生活をしてるということは、生活の中で自分が見たいものしか見てない可能性がある。 摩擦がないのが、能力なのか、単に回避してき

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自分流・飲み屋の探し方、付き合い方

私は、飲み屋に行くのが好きだ。 常連にしている店をベースにしながら、たまに気になったところを覗いてみる。最近は、そんなスタイルにハマっている。 仕事とは違う人間関係の中に自分の身を置くのは、なかなか面白い。 自分が好きになる店には共通点がある。オーナーと話をしに来ている人が集まっている、という空気だ。 そういう店には、だいたい店への敬意みたいなものがあって、場を壊さない人が多い。オーナーとの関係性も目的のひとつだから、集まった人たちは余計なことをしないのだ。 それから、いい店は、オーナーがお客さんと必要なタイミングでちゃんと満遍なくコミュニケーションを取っている。 お客さんを見て、話の輪に招き入れたり、変な空気になる前にさりげなく流れを変えたりできる。そういうオーナーがいる店は、安心して通える。 自分に合う店かどうかは、入ってみないとわからない。そういう、ちょっとしたギャンブルを楽しめるところもある。 外れたときのコストはあるけれど、だからこそ、当たりの店を見つけた時の喜びは大きいし、大事にしたくなるものだ。 こういう飲み屋巡りを定期的にするなら、隔日くらいがちょうどいいのか

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相手ではなく、「自分の中の相手のイメージ」に話しかけている人たち

人間関係の中で、「実際の相手」ではなく、自分の中にある、その人の作り上げた物語のイメージの中の相手と会話している、というタイプの人がいる。 これは、前職での経験だ。 同僚たちのあるグループと仕事をした時、私に対して、いつまでも「自分が教えてあげなければならない存在」であることを前提に接してくる人たちがいた。 実態としては私が仕事を回していたので、こちらから進め方を提案する場面の方が多かったのだが、彼らは自分たちが望まない発言について、まるで私が何も言わなかったかのようにスルーするのである。しかもそれは嫌味やいじめのな形で行われるのではなく、会話の中で穏やかに自然に、しかし、私の発言は確実に存在しなかったものとして、話題が移っていくのである。 その人たちとの付き合いはもうないが、今になって考えてみると、それは情報量や感情量を減らすための処理だったのかもしれない。 本来、人間をちゃんと見るということは、かなり負荷が高い。 相手は変化するし、矛盾もするし、思い通りにならない。 時には、自分を傷つけてくることもある。 そこで相手に、 「恋人役」 「最高の理解者役」 「かわいい後輩役」

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確認しないまま、相手の像だけが勝手に積み重なる時の話

最近、恋人に「私が思ったことをLINEで送る」ということを始めた。 それがなんだと言われそうだけど、私たちはもういい大人なので、お互い、自分の中で完結する癖がついているのだ。でも、私はもっと私を知ってもらいたいし、あいつのことも知りたい、と思ったことがきっかけだった。 自分は時々、相手が何を考えているかわからなくなっても、相手にうまく聞けないことがある。相手のことを、自分の中で勝手に完結してしまう。そして、それをため込んで爆発して、結果的に相手に「心配させてごめん」と謝らせるようなことがある。それは、あまり良くないと思うのだ。相手は本当に、なんとかしようと思ってそう言ってくれているのだと思う。だから自分は無意識に相手に無理をさせている。多分。 昨今、夫婦間と、義理の父親と息子の間と、深い関係性の中で起こった事件が続いた。そこを見ていて、思ったことがある。 人は、定期的に自分のことを伝えて、相手の中の「自分の像」を更新しないと、自分の中でも、相手の中でも、偏った感情が増幅されていくのではないか。 更新されない相手の像が固定され、そこに一方的な感情だけが積み重なっていく。相手本人

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人は、悩みの深さでできている。

自分は何かに悩んだ時、本当にその時のどん底に行かないと這い上がれないタイプだ。特に人生に関する悩みだと、本当に精神的な限界のギリギリのところまで悩む。周囲はそんな私のことを見て心配してくれて、なんでも相談してくれていいよとか、病院に行った方がいいと、いろいろと助言をくれて、申し訳なく思うこともある。 でも、私としては、最後は誰かの力を借りることはあっても、その前に自分で限界まで悩み抜く段階を経ないと、結局ちゃんと悩みから脱却することができないようなところがあるんだよね。流したり誤魔化したりできない性格、とも言えるだろう。苦しみすぎて壊れてしまいそうなときは、専門家の手を借りるべきだ、とも思うのだけれどもね。 その人が、自分の悩みに対してどこまで付き合うか。 ある人は、悩みを適度に流したり、忘れたり、別のことへ向けたり、誰かに話したりするだろう。またある人は、私のように、1人で深いところまで潜っていくこともある。 それは人間にとって、性格と同じくらい重要な要素なのではないか。でも、話題としてあまり語られていないことだなとも思う。 社会は、悩んでいる人に対して優しさを向けることがある

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自分のスタイルができてくれば、おしゃれは長く、ライフステージが変わっても楽しめる。

近頃、ファッションで自分のスタイルができてきて、買い物をする回数が減った。とはいえ、ファッションが好きな私は、今でも「その中での一軍」を探す旅を続けている。だから、お金を使うことから完全に卒業できたわけではないのだけれど。 ファッションを含む美容産業は、構造的に「答えを与えないこと」で成立している。企業側は商品の情報を流す時、基本的には「これを買えば解決する」という形へと、人を導きたいからだ。次々に新しい正解を提示し続けることで、消費は回り続ける。 昨今流行した骨格診断やパーソナルカラーも、その構造と無関係ではない。もちろん、あれらが参考になる場面はある。ただ、人間の個性に比べると、分類のパターンはかなり限られている。実際には、自分が本当にその分類に当てはまるのか曖昧なことも多い。 そして、それらの分類は、企業側が用意した「ある程度整理されたスタイルセット」を販売することとも結びついている。つまり、そのパターンの外へ少しずつ出ていかない限り、本当の意味で自分のスタイルは作られない。 自分の顔の形には、どんなメガネが合うのかを真剣に考える。雑誌の「モテメイク」をそのまま真似するの

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