最近、恋人に「私が思ったことをLINEで送る」ということを始めた。
それがなんだと言われそうだけど、私たちはもういい大人なので、お互い、自分の中で完結する癖がついているのだ。でも、私はもっと私を知ってもらいたいし、あいつのことも知りたい、と思ったことがきっかけだった。
自分は時々、相手が何を考えているかわからなくなっても、相手にうまく聞けないことがある。相手のことを、自分の中で勝手に完結してしまう。そして、それをため込んで爆発して、結果的に相手に「心配させてごめん」と謝らせるようなことがある。それは、あまり良くないと思うのだ。相手は本当に、なんとかしようと思ってそう言ってくれているのだと思う。だから自分は無意識に相手に無理をさせている。多分。
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昨今、夫婦間と、義理の父親と息子の間と、深い関係性の中で起こった事件が続いた。そこを見ていて、思ったことがある。
人は、定期的に自分のことを伝えて、相手の中の「自分の像」を更新しないと、自分の中でも、相手の中でも、偏った感情が増幅されていくのではないか。
更新されない相手の像が固定され、そこに一方的な感情だけが積み重なっていく。相手本人ではなく、「自分が解釈した相手」を育ててしまう。そして、その真偽を確認できないまま、自分の解釈だけで隙間を埋めていってしまう。
恋愛でいうなら、その初期は、逆にそれが楽しかったりもする。全部が、自分に都合のいいように、ハッピーに見えるからだ。
でも、関係が落ち着いてくると、見たくない現実も出てくる。相手に確認しないまま、「相手はこういう人だ」と思い込むことも増えていく。
そのギャップを埋める努力をするのか、それとも変わらない像を持ち続けるのか。その分岐点の感覚が、いわゆる蛙化現象なのかもしれない。
冷えていく関係というのは、コミュニケーションが育たないまま、像だけが離れていく状態なのだと思う。でも、関係自体は、社会的にも感情的にも簡単には抜けられない。だから、「なんとかなるかも」と「もう無理だ」を繰り返すうちに、正気で判断する余地がなくなっていく。
一方は、相手が自分の欲しいものを与えてくれないことを、「愛がない」と解釈する。もう一方は、相手から何かを強制されているように感じて、憎しみを募らせていく。
同じ関係の中で、まったく違う物語が生まれ、進んでいく。そして、お互いの実態をすり合わせる言葉がないまま、それぞれの解釈だけが深まっていく。そうやって、二人とも出口がわからなくなってしまう、という悲しさがある。
だから、「相手の中の自分の像」を更新していくことは、相手を見ようとする姿勢そのものなのだと思う。どうやって更新していくかは、その次の問題だ。
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自分の話に戻ると、相手と、これまでとは違う関係性を築きたいのである。
相手の誠実さを信じているからこそ、そこに甘えてしまっている自分の構造を変えたい、という気持ちがある。ちゃんと、お互いを受け取れる関係に育てたい。
だからこそ、自分の姿をちょこちょこ伝えることを、まずは私から実践してみようと思った、という感じ。
実を言うと、自分の考えを送りつけるなんて、承認欲求丸出しなのではないか、とも思っている。長年一人で完結してきた癖だなと思う。でも、日々の関係の中で相手を知っていくために。そして、相手の中で「勝手に育った自分」と付き合い続けさせないためにも必要なことだなとも思う。
最初は負担かもしれない。でも、それをしないと、二人ともずっと「自分の中の相手」と付き合い続けることになる。
それは、ちょっと寂しいなと思ったのだ。