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人は、悩みの深さでできている。

自分は何かに悩んだ時、本当にその時のどん底に行かないと這い上がれないタイプだ。特に人生に関する悩みだと、本当に精神的な限界のギリギリのところまで悩む。周囲はそんな私のことを見て心配してくれて、なんでも相談してくれていいよとか、病院に行った方がいいと、いろいろと助言をくれて、申し訳なく思うこともある。

でも、私としては、最後は誰かの力を借りることはあっても、その前に自分で限界まで悩み抜く段階を経ないと、結局ちゃんと悩みから脱却することができないようなところがあるんだよね。流したり誤魔化したりできない性格、とも言えるだろう。苦しみすぎて壊れてしまいそうなときは、専門家の手を借りるべきだ、とも思うのだけれどもね。

その人が、自分の悩みに対してどこまで付き合うか。
ある人は、悩みを適度に流したり、忘れたり、別のことへ向けたり、誰かに話したりするだろう。またある人は、私のように、1人で深いところまで潜っていくこともある。
それは人間にとって、性格と同じくらい重要な要素なのではないか。でも、話題としてあまり語られていないことだなとも思う。

社会は、悩んでいる人に対して優しさを向けることがある。その一方で、「悩まずに機能すること」を、どこかで理想としている気がする。深く悩み続ける人は、しばしば“立ち止まっている人”として扱われる。管理職のような立場になると、そうした空気を感じることも少なくない。

もちろん、悩み続けること自体が正しいわけではない。苦しみすぎれば、人は壊れてしまうこともある。ただ、それでも私は、悩みとしっかり向き合った人の言葉には、どこか簡単には出てこない重みが宿ると思っている。

悩みを流したり、深く考えないようにしたりすることは、短期的には楽だ。けれど、その過程で、自分の内面に向き合う機会や、言葉を深める機会まで失ってしまうことがあるのではないかな。その結果として、自分から出てくるものが、自分の言葉ではなく、どこかで見かけたような言葉ばかりが口から出てくるようになることもあるのかもしれない。

だから私は、「悩まないこと」だけを過剰に肯定する空気には、少し違和感がある。
深く悩むことは、決して効率のいい生き方ではないのだろうなと思うし、乱暴に言えば、それは悩まなくていいことで悩んでるようなこともあって、あらゆる面で損することは多いだろうなとも思う。
でも、それでも、その過程を通らなければ辿り着けない感覚や言葉が、人間には確かに、ある気がしているんだ。