先日、100人くらいいるLINEグループを抜けた。
特に何かあったわけではない。誰かと揉めたわけでもないし、嫌いな人がいたわけでもない。みんな普通に会話していたし、たぶん今もしている。
ただ、私はそのチャットをほとんど見ていなかった。
だから最後に少しだけ画面を眺めて、心の中で「ありがとう」と思って退会した。
通知欄が静かになって、少しだけ部屋を片付けたような気分になった。
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その日の夜になってから、なぜあんなにあっさり抜けられたのか考えていた。
最初は、人付き合いが苦手だからだと思った。でも違う。
友達はいるし、飲み屋に行けば話す相手もいる。仕事関係でも雑談する人はいる。むしろ人間関係そのものにはあまり困っていない。
では何が違うのだろう。
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考えていて思ったのは、人間関係の見方だった。
人間関係を考える時、世の中には、まず「箱」を見る人がいると思う。
学校。
会社。
サークル。
同窓会。
同じ場所に所属していることを起点に人間関係を認識する。
私は勝手にこれを「箱型人間関係」と呼んでいる。
この定義に悪意はない。所属することで安心感を得たり、仲間意識を持ったりするのは自然なことだ。
ただ、どうやら私はあまり「箱型」ではないらしい。
友人を思い浮かべるときも、「同じコミュニティの人」ではなく、「あの人」が先に浮かぶ。その人とどこで知り合ったかは後から思い出す。
所属よりも、人と人との繋がりを重視する。
言ってしまえば、これはネットワーク型人間関係ということだろう。
だが考えてみると、私はもう一歩先のものを見ている気もする。
私は人そのものだけでなく、その関係の形を見るのも好きなのである。
仕事では組織図より、誰が誰と話しているかを見る。肩書きよりも、情報がどこを流れているかが気になる。
旅行でも県境や行政区分より、人や物の流れを見る。鉄道路線図を眺めていても、駅そのものより接続の仕方に興味が向く。
私は人間関係でも同じことをしていたのかもしれない。
誰と誰が繋がっているのか。どこがハブになっているのか。どんな形で関係が広がっているのか。そんな構造の方を見ている。
だからこれは「トポロジー型人間関係」と呼ぶのが近い気がしている。
この「トポロジー」は、数学的に厳密な意味ではない。
この場では、「所属ではなく接続の構造を見る人間関係」の捉え方、くらいの意味だ。
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そう捉えると、自分があの100人のLINEグループを抜けても何も失った気がしなかった理由がわかるのである。
私にとってあのグループは人間関係そのものではなかった。
けれど人間関係が生まれた場所だった。あの場で出会った人々の中で、親しく付き合いを続けている人はいる。
箱型の人間関係の中から、トポロジー型の人間関係が生まれ、私はそれを続けてきていたのである。
箱を片付けても、接続は残る。
LINEグループを一つ抜けただけなのに、自分が人間関係をどう見ているのかが少しわかった気がした。