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好奇心を持ち続けた人は、なぜ謙虚になるのか

私は昔、「謙虚な人は好奇心が強いのだ」と思っていた。

しかし、最近、それは逆ではないかと思うようになった。

好奇心があるから謙虚なのではない。

好奇心を持ち続けた結果として、謙虚にならざるを得ないのではないか、と。


世の中には、自信満々に物事を語る人がいる。

それ自体は悪いことではない。

ただ、長く何かを見続けている人ほど、意外と物事を断言しなくなるな、と思う。

歴史を調べる人は歴史の複雑さを知る。

政治を調べる人は立場の複雑さを知る。

仕事を続ける人は組織の複雑さを知る。

人を知ろうとする人は、人間の複雑さを知る。

最初は単純に見えていたものが、だんだん単純ではなくなっていく。

知れば知るほど、自分が知らないことが増えていく。

だから軽々しく結論を出せなくなるのだと思う。

これは、世界を見続けた結果として起きる現象だと思う。


一方で、自分を主役にすると世界は単純になる。

なぜなら、自分の物語を成立させるためには、世界が複雑であっては困るからだ。

成功した私はすごい。

失敗したのは誰かのせい。

この考え方は分かりやすい。

しかし、その分だけ世界は平面的になる。

そこにある事情や背景や偶然は削ぎ落とされる。

必要なのは、自分が納得できる物語だけだからだ。


だから私は、人が何に興味を持っているかよりも、興味の向き先を見るようになってきた。

その人は世界を見ているのか。

それとも世界を使って自分を見せているのか。

もちろん誰の中にも両方ある。

私にもある。

ただ、長く観察していると一つの傾向がある。

本当に好奇心が強い人ほど、自分の話をしなくなる。

自分の意見を語るより、目の前の現象を見ている方が楽しいから。

自分が正しいことを証明するより、新しい発見をする方が面白いから。

そういう人の話を聞いていると、不思議と世界が広がる。

反対に、自分が主役の話ばかり聞いていると、世界はどんどん狭くなる。

登場人物は増えても、結局は一人の物語だからだ。


謙虚さとは、自己評価を低くすることではない。

世界の大きさを知ることなのかもしれない。

そして世界の大きさを知るためには、好奇心を失わないことが必要なのだと思う。