契約は、「感情」をどう翻訳したのか ──NewJeans関連訴訟群から読む、韓国司法の「契約観」
Contracts and the Translation of Emotion — Reading Korea's Judicial View of Contract Through the NewJeans Litigation
著:霧星礼知(min.k)|mncc.info / Author: Reichi Kirihoshi (mncc.info)
2024年春から2026年の現在まで、NewJeans、ADOR、HYBE、そしてミン・ヒジンを巡る一連の紛争は、監査、仮処分、刑事告発、行政申告、本案訴訟という異なる制度の上を移動し続けてきた。報道の見出しはそのたびに「勝訴」「敗訴」「完敗」と書いた。読者もまた、そのたびに誰かの側に立ち、誰かを責めた。
本稿は、その勝敗表を書き直すためのものではない。誰が正しかったかを判定するためのものでもない。
問いはひとつだけである。
韓国の裁判所は、この一連の事件を通して、契約というものをどう捉えていたのか。
裁判所が何を問題として見たのか。何を契約解除の事由として見なかったのか。そして──ここが本稿の中心だが──人間の感情を、法はどのように扱ったのか。
なお、最初にひとつ、断りを入れておく。
本稿が根拠とする調査資料においても、主要な決定・判決の全文は入手できていない。 裁判所の判断理由は、聯合ニュース、YTN、Korea JoongAng Daily などの要約報道に依拠している箇所が多い[1][2][3]。
したがって本稿では、「裁判所が述べたと報じられていること」と「筆者の考察」を、できる限り明確に書き分ける。判決文を読んだふりはしない。それが、この種の記事に対して払える最低限の誠実さだと考えている。
1. なぜ「勝った・負けた」で読むと誤読になるのか
この事件群を勝敗で読むと、必ずどこかで矛盾する。試しに、二つの決定を並べてみる。
2024年5月30日、ソウル中央地裁は、ミン・ヒジンがHYBEを相手取って申し立てた議決権行使差止めの仮処分を認容した。翌日の臨時株主総会で、HYBEはミン解任に賛成する議決権を行使できなくなった[2:1]。
その5か月後、2024年10月29日、裁判所はミンが求めた代表取締役復帰の仮処分を却下した[4]。
同じ人物が、同じ相手に対して、同じ地方裁判所で、半年のうちに勝ち、そして負けている。もし裁判所に「ミン寄り」「HYBE寄り」という傾きがあったなら、この二つは説明できない。
説明できないのは、勝敗という読み方のほうが間違っているからである。
この2年間に走った手続を数えてみると、少なくとも五系統ある。
第一に、民事保全(仮処分)。ADORがNewJeansメンバー5人の独自活動を禁じた一連の手続がこれにあたる[5][6]。仮処分は、本案判決が出るまでの暫定的な秩序を作る手続であり、権利関係を最終的に確定するものではない。
第二に、本案民事訴訟。ADORがNewJeansメンバーを被告として提起した専属契約有効確認訴訟[7]、HYBEとミンの株主間契約解除確認およびプットオプション代金請求訴訟[8]がこれにあたる。
第三に、刑事手続。HYBEがミンらを業務上背任で告発した事件で、警察は2025年7月15日、1年以上の捜査の末に不送致を決定した[9]。
第四に、労働行政。ハニに関する職場内いじめ申告について、雇用労働部ソウル西部支庁が2024年11月20日に判断を示した[10]。
第五に、会社内部の意思決定。臨時株主総会、理事会によるCEO交代[11]。これは司法判断ですらない。
これらは、当事者も、争点も、立証水準も、救済方法もすべて異なる。刑事の不送致は「無罪判決」ではないし、まして「民事上の契約違反が一切なかった」ことの証明でもない[9:1]。労働行政の終結は、後述するとおり「ハラスメントは存在しなかった」という認定ではない[10:1]。仮処分で認められたことは、本案で確定したことと同義ではない。
にもかかわらず、これらはすべて「NewJeans裁判」という一語で束ねられ、同じ勝敗表に記入されてきた。
問いが違えば、答えも違う。 当たり前のことだが、この事件群を読むうえでは、この当たり前がほとんどすべてである。
2. 裁判所は何を一貫して見ていたのか
争点がばらばらである以上、判断もばらばらに見える。だが、報じられている判断理由を横に並べると、いくつかの共通した着眼点が浮かび上がってくる。
(1) 重大な契約違反があったか
継続的な契約を一方的に終わらせるには、「気に入らない」では足りない。契約の目的を達成できなくなるほどの、重大な義務違反が要る。この要求は、双方に等しく向けられた。
NewJeans側は、ミン・ヒジンの解任、制作体制の変更、保護義務違反、ブランド毀損、情報流出などを挙げて専属契約の終了を主張したが、2025年10月30日の一審判決はこれを認めなかった[12][1:1]。
だがその4か月後、2026年2月12日、今度はHYBEが敗れている。HYBEはミンが株主間契約に重大違反したとして解除を主張したが、裁判所は、ミンがADOR独立案を模索したこと自体は認めつつ、それはHYBEの同意を前提とする構想であって、その事情だけでは重大な違反とはいえないと判断したと報じられている[8:1]。
解除を主張する側が、要件を証明する。 この構造は、原告が誰であっても変わらなかった。
(2) 構想か、実行か
2024年5月の仮処分において、裁判所はミンが「NewJeansを連れてHYBEの支配範囲外に出る方法」「HYBE保有株を売却させてADORを支配する方法」を模索していたこと自体は明確に認定したと報じられている[2:2]。認定したうえで、なお模索の段階を超えた具体的な実行行為までは認め難いとした。
2026年2月の一審も同じ線を引いている。HYBEが主張した「NewJeans引き抜き」についても、トーク記録全体を読めば「ミンが去った後のADORが殻になる」という趣旨と解するのが妥当であり、引き抜き実行の証拠とはいえないと排斥したという[8:2]。
内心・構想・準備と、実行行為は違う。これは本件を横断して最も一貫している原理である。
(3) 誰に対する義務か
後の第5節で詳述するが、「HYBEに対する背信」と「ADORに対する背任」は、裁判所において明確に区別された[2:3]。契約上の義務は、常に特定の相手方に対して負うものである。
(4) 契約主体に履行能力が残っているか
2025年10月の本案判決の要旨として報じられているところによれば、裁判所は、ミンの解任だけでNewJeansのマネジメントに空白が生じたとはいえず、ADORに業務遂行の計画や能力がないともいえないとした[12:1][1:2]。NewJeans側が協力しない状況下でも、ADORはアルバム準備、ワールドツアー計画、イベント機会の提供などを行っており、履行の意思と能力は残っていた、という評価である[1:3]。
重大な違反、実行行為、契約主体、履行能力。
この四つは、審理の対象が誰であっても動かなかった。裁判所が見ていたのは、当事者の人格ではなく、契約という関係の骨格だったのではないか──という仮説は、少なくともこの段階では棄却されない。
3. 感情と契約 ── 法は感情を扱わないのか
ここが本稿の山場である。
NewJeans側の主張の核心は、「信頼関係の破壊」だった。ミン・ヒジンが解任され、制作体制が変わり、会社は自分たちを守らず、社屋の廊下では無視するよう指示され、練習生時代の資料が流出し、社内には敵意があった。もはやこの会社とはやっていけない、と。
そして敗れた。
この結果から、多くの人が同じ結論に飛んだ。法は感情を扱わない。 裁判所は冷たい。人の傷は数えない。
しかし、報じられている判断理由を読む限り、そうは書かれていない。
「信頼関係の破壊」は、感情の言葉ではない
まず確認しておきたいのは、「信頼関係の破壊」という言葉が、実は法律の言葉だということである。
日常語では、これは感情の表現である。裏切られた、もう信じられない、という心の状態を指す。
だが継続的な契約関係──賃貸借、雇用、代理店契約、そして専属契約──の法理において、「信頼関係の破壊」は解除の可否を測るための要件として機能する。しかもこの法理は、歴史的にはむしろ弱い立場の当事者を守るために発達してきた側面がある。形式的には契約違反にあたる小さな不履行があっても、信頼関係が破壊されていない限り解除は認めない、という形で。
つまり法は、感情を締め出しているのではない。感情を、法が扱える形式に翻訳する回路を、あらかじめ用意している。
問題は、翻訳のたびに何かが目減りすることである。
三段階の翻訳
NewJeans側が経験したことは、判断に至るまでに少なくとも三度、形を変えている。
第一段階:出来事から感情へ。 廊下での出来事、解任の知らせ、社内の空気。それが「もう信じられない」という感情になる。
第二段階:感情から法概念へ。 それが訴訟では「信頼関係の破壊」と名づけられる。ここで、感情は主張になる。主張になった瞬間、それは証明の対象になる。
第三段階:法概念から要件該当性へ。 そして裁判所が審査したのは、「彼女たちが傷ついたか」ではなく、「信頼関係が、専属契約を維持できないほどに破綻したといえるか」だった。2025年10月の判決要旨は、まさにこの水準で書かれている。信頼関係が悪化していたとしても、契約の維持が困難なほど破綻したとはいえない、と[1:4]。
裁判所は「感情など知らない」とは言っていない。「その感情は、契約を終わらせるだけの重さに達しているか」を問うたのである。
時間の順序という、冷たく見える論理
この翻訳過程で、最も冷たく見えるのはおそらく次の点だ。
報じられている判決要旨によれば、裁判所は、解約通知の後に生じた法的対立が信頼関係の悪化を増幅し得ることは認めつつ、それをもって解約の原因に遡らせることには慎重であるべきだとした[1:5]。
感情の側から見れば、これは理不尽に映る。訴えた後に会社がしたことのほうが、よほどひどかったかもしれない。だが法の側から見れば、これは論理の要請である。解除の効力は、解除した時点で解除事由が存在したかどうかで決まる。後から生じた事情で正当化できるなら、先に通知した者が常に有利になってしまう。
法は感情を無視しているのではなく、時間の順序を守っている。 その厳格さが、当事者には冷たさとして経験される。
では、法は何を扱えないのか
ここまでを踏まえると、「法は感情を扱わない」という言い方は、正確ではないことがわかる。
法が扱えるのは、感情の帰結として何が起きたかである。感情そのものではない。
「会社が自分たちを嫌っていると確信した」というハニの国会での言葉[13]は、体験としては疑いようがない。だが契約法が問えるのは、その確信を生んだ出来事が、ADORという法人の契約上の義務違反にあたるか、そしてそれが契約を終わらせるほど重大か、という点だけである。
そして裁判所は、「無視して通り過ぎろ」という趣旨の発言、資料流出、PR担当者の発言、ILLITとのコンセプト類似などを、いずれも専属契約の違反事由にはあたらないと整理したと報じられている[1:6]。
ここで極めて重要なのは、これは「不適切ではなかった」という認定ではないということだ。「契約を終わらせる事由ではない」と言っただけである。この二つは、まったく違う。
不快であったこと、不適切であったこと、傷ついたこと。それらは否定されていない。ただ、契約という制度が用意した出口の鍵穴には、合わなかった。
法が感情を扱わないのではない。感情が法的効果を生むためには、感情のままでは通れない通路がある。 そして、その通路を通り抜けたときに何が残るかは、あらかじめ契約書に何が書かれていたかによって決まる。
この最後の一点が、次節につながる。
4. ADOR法人とミン・ヒジン個人 ── 裁判所はどこで線を引いたか
一般読者が最も誤解しているのは、おそらくここである。
多くの人の直感では、NewJeansはミン・ヒジンと仕事をしていた。ミン・ヒジンが作った世界観の中にいた。だからミン・ヒジンが排除されたなら、その契約はもう別物だ、と。
だが法的には、NewJeansが専属契約を結んだ相手は、ADORという法人である。
報じられている判決要旨において、裁判所はこう述べたとされる。専属契約には、ミン・ヒジンがADORを率いなければならないという条項はない[12:2]。
この一文が、この事件のすべてを象徴している。
書かれていないものは、守られない。
裁判所は、ミンの解任がNewJeansにとって重大な出来事だったことを否定していない。だが、契約主体はADORであり、ADORに履行の意思と能力が残っている以上、代表者が交代したこと自体は契約違反を構成しない、と整理した。ミンは解任後も一定のプロデュース参加が可能だった、とも指摘されている[1:7]。
ここには、K-POPという産業の実態と、契約という制度の形式のあいだの、深い断層がある。
K-POPにおいて、商品価値の核心はしばしば「誰が作るか」にある。世界観、コンセプト、A&Rの判断、ビジュアルディレクション。それらは法人ではなく個人に宿る。ファンも、当のアーティストも、そのことを知っている。
だが契約書は、法人と法人、法人と個人のあいだの権利義務しか記述できない。「この人が作り続けること」を保証する条項が書かれていなければ、法はそれを保護できない。
これは裁判所が業界の実態を知らないという話ではない、と筆者は考える。むしろ、制度としての契約が持つ性質そのものである。契約は、当事者が言語化して合意したものだけを保存する。言語化されなかった前提は、どれほど当事者にとって自明であっても、紛争になった瞬間に消える。
そしてこの断層は、実は誰の側にとっても危険である。今回はアーティスト側が不利に働いたが、同じ論理は、プロデューサー個人の地位を守る条項がなかったという意味で、ミン・ヒジン側にも作用した。CEO復帰の仮処分が却下されたのも、株主間契約という別の文書の射程の問題だった[4:1]。
5. 「HYBEへの背信」と「ADORへの背任」を区別した意味
2024年5月の仮処分決定について、報道は裁判所の判断をこう要約している。裏切りではあっても、背任行為とはいえない[2:4]。
短い一文だが、ここには契約法の骨格が凝縮されている。
日常の感覚では、「裏切り」は誰に対するものであれ裏切りである。信頼を寄せた相手を欺いたなら、それは悪いことだ。感情はそこで完結する。
だが法は違う。法的な義務違反は、必ず特定の相手方に対して成立する。
ミン・ヒジンがHYBEに対して負っていたのは、株主間契約上の義務である。彼女がADORに対して負っていたのは、代表取締役としての善管注意義務・忠実義務である。この二つは、名宛人が違う。
したがって、HYBEの支配から離脱しようとする構想は、HYBEとの関係では信義に反する余地がある。しかしそれが直ちに、ADORという会社に損害を与える背任になるわけではない。裁判所はそう整理したと報じられている[2:5]。
この区別がなぜ重要なのか。
第一に、これが2025年7月の刑事不送致[9:2]、そして2026年2月の民事一審[8:3]へと一貫してつながる線だからである。「怪しい」「不穏だ」「離れようとしていた」という事実の集積は、それが誰に対するどの義務の違反なのかを特定できなければ、法的な帰結を生まない。
第二に、この論理はそのまま反転して、NewJeans側の主張にも適用されたからである。NewJeansが不信を抱いた相手は、報じられている限りでは、HYBEを含む「会社側」という広い対象だった。廊下の出来事は別レーベルのマネージャーによるものとされ[10:2]、監査を行ったのはHYBEである[14]。だが専属契約の相手方はADORである。ADORの義務違反を証明しなければ、専属契約は終わらない。
感情は対象を選ばないが、法的義務は対象を選ぶ。
これは冷たい論理だが、恣意的ではない。もし「グループ全体への不信」で契約を解除できるなら、資本関係を辿って無関係な当事者にまで責任が拡散する。契約が相対的な関係である以上、この線は引かざるを得ない。
そして繰り返すが、この線は双方向に働いた。HYBEもまた、ミンの行為をADORへの加害に結びつけることに失敗している[3:1][8:4]。
6. ハニの「無視しろ」問題 ── 二つの制度、二つの問い
この事件群のなかで、最も慎重に扱わなければならないのがここである。
2024年10月15日、ハニは国会環境労働委員会に参考人として出席し、HYBE社屋の廊下で他レーベルのマネージャーが「無視するように」という趣旨の指示をするのを聞いた、と証言したと報じられている[13:1]。会社が自分たちを嫌っていると確信した、とも述べたという[13:2]。
その約1か月後、雇用労働部ソウル西部支庁は、この件に関する申告を終結させた。
多くの見出しは「労働部が申告を退けた」と報じ、少なくない読者がそれを「ハラスメントはなかったと認定された」と読んだ。
これは、事実として誤読である。
報じられている行政判断の理由は、こうである。ハニのマネジメント契約の内容・性質からして、彼女を労働基準法上の「労働者」と見るのは難しい[10:3]。根拠として挙げられたのは、当事者が対等な契約当事者の関係にあること、就業規則等が適用されないこと、勤務時間や場所が固定されないこと、費用の共同負担があること、支払いが賃金ではなく収益分配的であること、事業所得として課税されていること、利潤と損失のリスクを自ら負うことなどだったという[10:4]。あわせて、芸能人の専属契約を民法上の委任契約またはこれに類する無名契約と見た2019年の大法院判例にも言及されたとされる[10:5]。
つまり労働当局は、出来事があったかなかったかを判断していない。その手前で、制度の適用対象ではないと判断して終わった。
職場内いじめの規制は、労働基準法の中にある。労働基準法は労働者に適用される。ハニは労働者ではない。だから、この扉は開かなかった。
一方、同じ出来事は専属契約訴訟の中でも扱われた。だがそこでの問いは、まったく違う。「これは労働法上の職場内いじめか」ではなく、「これはADORによる専属契約上の重大な債務不履行であり、契約解除の事由となるか」である。そして裁判所は、これを含む複数の主張を、いずれも専属契約の違反事由にはあたらないと整理したと報じられている[1:8]。
図式化すれば、こうなる。
- 労働法:入口(労働者性)で止まった。実体判断に至っていない。
- 契約法:入口は通ったが、出口(解除に足る重大性)で止まった。
同じ出来事が、二つの制度を通り抜けようとして、それぞれ別の場所で引っかかった。
ここに残るのは、制度の隙間である。
アーティストが疎外や敵意や心理的圧迫を経験したとき、労働法は労働者性の壁に阻まれ、契約法は重大債務不履行の壁に阻まれる。人格的な侵害を語る言語と、契約を解除する言語のあいだには、深い谷がある。
この谷は、裁判所の冷たさが作ったものではない。制度設計が、そこに橋を架けてこなかったというだけのことである。そして橋を架けるのは、司法の仕事ではない。
7. この判決群は、K-POP契約をどう変えるのか
ここからは筆者の考察である。判決が述べたことではない。
短期的には、拘束の強化へ
まず認めるべきは、この一連の手続が事務所側に強い成功体験を与えたであろうことだ。
ADORは2025年1月、NewJeansの独自広告契約を禁じる仮処分を申し立て[15]、3月に認容され[5:1]、4月には異議も棄却され[16]、5月には違反1回あたり10億ウォンという間接強制まで認められた[17]。6月には高裁が維持し、上告がないまま確定した[6:1]。そして10月の本案でも勝訴し、11月に控訴期限が徒過して確定した[12:3][18]。
法的手続を経ない一方的な離脱に対しては、仮処分で迅速に止められる。この経験は、業界全体に共有される。
短期的には、独自活動の禁止条項、広告直契約の制限、SNS発信の統制、違反時の金銭的サンクションといった、より守備的な契約運用が強まる可能性が高い。
だが、それでは同じ紛争が再発する
しかし、この2年間が露呈させたのは、契約の拘束力が弱いという問題ではなかった。契約が、起こりうる事態を想定して書かれていなかったという問題である。
判決群から逆算すると、少なくとも四つの空白が見える。
第一に、解除事由の空白。 「信頼関係の破壊」という一般法理に頼る限り、アーティスト側の主張は常に「重大性」の壁に当たる。どのような事態が生じたときに、どのような手続を経て、契約を終了・停止できるのか。それを明文化しない限り、次も同じことが起きる。
第二に、制作体制変更の空白。 ミンがCEOであるべき条項がなかったことが決定的だった[12:4]。とはいえ「特定のプロデューサーを絶対に固定する」条項は、会社法上の裁量や経営判断と正面から衝突するため現実的ではない。より実務的なのは、重大な制作体制変更が生じる場合の協議義務、方針変更時の再交渉権、一定期間の協働継続努力義務といった、柔らかい条項だろう。
第三に、保護義務の空白。 ハニの件が示したのは、ハラスメントや疎外行為が起きたときに、誰がどう調査し、どう是正するのかが決まっていなかったということである。労働法が使えない以上、この機能は契約の中に置くほかない。調査手続、独立した第三者の選任方法、是正義務、再発防止、報告義務。これらは本来、契約書に書けるものである。
第四に、紛争処理の空白。 対立が生じた瞬間から公開の法廷に飛ぶまでに、段階がなかった。是正要求の期間、協議のチャネル、仲裁、緊急避難的な活動休止権。こうした中間段階があれば、少なくとも当事者全員が消耗し尽くす前に、別の帰結があり得たかもしれない。
硬直化ではなく、救済装置を
したがって、望ましい方向は「より強い囲い込み」ではないと筆者は考える。拘束だけを強め、保護の手続を整えなければ、力関係の非対称はそのまま固定される。ハニの件が示したとおり、現行の労働法制は専属契約下のアーティストを十分に保護していない[10:6]。
必要なのは、契約の中に救済装置を埋め込むことである。
判決群は、感情ではなく条項を、印象ではなく立証を要求した。それは冷たい要求だが、同時にひとつの設計指針でもある。書けば守られる。書かなければ守られない。 ならば、書けばよい。
なお、この紛争がなお継続中であることも付言しておく。株主間契約に関する2026年2月の一審判決に対してHYBEは控訴しており、判断は確定していない[19]。ダニエルに対する損害賠償請求訴訟も係属中とみられる[20]。NewJeansは2026年7月現在、4人体制での活動再開の兆しを見せている[21]。物語はまだ閉じていない。
おわりに ── 契約は、人間関係をどう扱うのか
冒頭の問いに戻る。韓国司法は誰の味方をしたのか。
資料を積み上げた限りでの答えは、こうなる。誰の味方でもなく、契約の味方をした可能性が高い。
NewJeansには、専属契約を守れと言った。HYBEには、解除を主張するなら重大違反を立証せよと言った。ミン・ヒジンには、株主間契約上の権利を認めたが、CEOの座までは保証しなかった。刑事の場では、構想だけでは背任にならないと言った。
この一貫性は、しかし「公平」と同義ではない。形式的に対称な要求は、資源と時間と法務体制を持つ側に、実質的には有利に働く。長期戦に耐えられる者が、耐えられない者に勝つ。裁判所が中立であることと、結果が均衡することは、まったく別の問題である。この留保は、本稿の結論に必ず付け加えられなければならない。
そのうえで、最後に残る問いを書いておきたい。
契約という制度は、人間関係を保存しない。関係の輪郭だけを保存する。
誰がどんな気持ちで一緒に働き始めたのか。何を暗黙の前提にしていたのか。この人がいるからこの場所にいる、という了解があったのか。そうしたものは、契約書には載らない。載らないものは、争いになった瞬間に、存在しなかったものとして扱われる。
これは法の欠陥だろうか。おそらく違う。それは、人間関係のうち言語化して合意できた部分だけを取り出して、時間の経過や感情の変化から独立させる、という契約の本来の機能そのものである。契約が守るのは関係ではなく、関係が壊れた後に残るべき最低限の予測可能性のほうなのだ。
だとすれば、問われているのは司法ではない。
自分にとって本当に大事な前提を、どこまで言葉にして、相手と合意しておけるか。それをしないまま関係を始めることが、どういう賭けなのか。
この事件を追いかけて、もし何か持ち帰るものがあるとすれば、それは誰かの善悪についての判定ではなく、この問いのほうだろうと思う。
☕️よかったらコーヒー一杯。
https://buymeacoffee.com/mink_obs
著:霧星礼知(min.k) / リサーチ・構造支援:Claude Sonnet 4.6、ChatGPT、Perplexity / AI-assisted / Structure observation
脚注
参考文献
一次資料の取扱いについて
本稿の執筆にあたり、各決定・判決の全文を入手することはできなかった。したがって、裁判所の判断理由については、判断要旨を比較的厳密に伝える韓国主要通信社および法曹報道を、一次資料に準ずるものとして扱っている。具体的には、議決権行使差止め仮処分についてはYTN、専属契約有効確認訴訟の本案についてはYonhap News Agency、労働行政判断についてはYonhap News Agency、株主間契約解除確認およびプットオプション請求訴訟についてはYonhap News AgencyとKorea JoongAng Dailyの一致する要約を基礎とした。
この性質上、本稿における「裁判所はこう述べた」という記述は、すべて「そのように報じられている」という留保を含む。
当事者の正式声明
- ADOR「契約は一方的に終了できない」(2024年12月5日、訴訟提起時声明)
- ADOR 公式立場文(2024年11月28日、SPOTV News経由)
- NewJeansメンバー5名による専属契約終了通告声明(2024年11月29日)
- ミン・ヒジン側代理人声明(2025年7月15日、刑事不送致時)
- HYBEによる監査開始および告発に関する公表(2024年4月)
主要報道
- Yonhap News Agency(韓国語版・英語版)── 時系列の整理および各手続の連関把握において中核的に使用
- YTN ── 2024年5月30日仮処分の判断要旨
- Reuters ── 国会証言および仮処分決定の国際報道
- Korea JoongAng Daily / The Korea Herald ── 英語圏における補強
- 법률신문(Lawtimes)ほか法曹報道 ── 仮処分と本案、理事会と株主総会、背信と背任、労働者性と契約解除事由の区別についての理解
判例
- 大法院2019年判決(芸能人専属契約を民法上の委任契約またはこれに類する無名契約と解したもの)── 雇用労働部の判断において参照されたものとして、報道を通じて確認
本稿は、公開されている報道および当事者声明に基づく評論である。特定の当事者の法的責任を認定または否定する意図はなく、また係属中の手続について結論を予断するものでもない。
For international readers
This essay examines a cluster of lawsuits, injunctions, criminal complaints, and a labor-ministry ruling involving NewJeans, ADOR, HYBE, and former ADOR CEO Min Hee-jin between 2024 and 2026. Rather than asking who won or who was at fault, it asks what Korean courts consistently treated as a breach of contract, and what they did not. The central argument is that courts repeatedly distinguished intent from execution, personal conflict from a corporate entity's capacity to perform, and emotional betrayal from the legal threshold required to dissolve a contract. In doing so, the piece traces how "breakdown of trust" — an emotional claim — gets translated into a legal category, and then tested against the stricter requirement of material breach. It closes by asking what this reveals about the limits of contract as a vessel for human relationships, and what K-pop contracts might need to change going forward.
Keywords
NewJeans, ADOR, HYBE, Min Hee-jin, Korean contract law, breach of trust, exclusive contract litigation, K-pop industry, workplace harassment, injunction, put option dispute, corporate governance
Yonhap News Agency「뉴진스, 어도어와 전속계약 소송 '완패'…」2025年10月30日。
https://www.yna.co.kr/view/AKR20251030081051004本稿における同判決の判断理由は、すべて同報道による要約に依拠している。 ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎YTN「민희진, 하이브 상대 '의결권 행사 금지 가처분' 인용」2024年5月30日。
https://www.ytn.co.kr/_ln/0103_202405301601074125本稿で引用する決定理由は、同報道による判断要旨の要約に依拠している。 ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎Korea JoongAng Daily, "Court rules in favor of Min Hee-jin in contract termination suit with Hybe," 2026年2月12日。
https://www.koreajoongangdaily.com/korea/court-rules-in-favor-of-min-hee-jin-in-contract-termination-suit-with-hybe/12394302↩︎ ↩︎Yonhap News Agency, "Court dismisses injunction by ex-ADOR head Min seeking reinstatement as CEO," 2024年10月29日。決定は却下(dismiss)であり、株主間契約上の主張の実体を全面的に否定したものと読むことはできない。 ↩︎ ↩︎
Yonhap News Agency, "Court grants injunction to ban NewJeans' independent activities," 2025年3月21日。 ↩︎ ↩︎
Yonhap News Agency, "Court's decision to ban independent activities by NewJeans finalized," 2025年6月25日。6月17日に高裁が維持し、6月24日までに上告がなく確定した。 ↩︎ ↩︎
Yonhap News Agency, "ADOR files lawsuit seeking validity of contracts with NewJeans," 2024年12月5日。
https://en.yna.co.kr/view/AEN20241205008300315↩︎Yonhap News Agency「민희진, 하이브에 주식소송 승소 '중대위반 없어…255억 지급'」2026年2月12日。
https://www.yna.co.kr/view/AKR20260212102051004↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎Yonhap News Agency, "Former ADOR chief Min Hee-jin cleared of breach of trust charges," 2025年7月15日。警察段階での不送致であり、無罪判決ではない。HYBEは異議申立ての方針を示した。 ↩︎ ↩︎ ↩︎
Yonhap News Agency, "Labor ministry rejects claims of workplace harassment against NewJeans member," 2024年11月20日。
https://en.yna.co.kr/view/AEN20241120002900315雇用労働部ソウル西部支庁による行政終結。労働者性を否定したものであり、ハラスメントの不存在を認定したものではない。 ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎Yonhap News Agency, "NewJeans' label ADOR replaces CEO Min Hee-jin amid dispute," 2024年8月27日。ADORは、5月30日の仮処分は5月31日の臨時株主総会に限って効力を持つものであると説明した。 ↩︎
Yonhap News Agency, "Court says exclusive contract between NewJeans and ADOR valid," 2025年10月30日。
https://en.yna.co.kr/view/AEN20251030006952315↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎Yonhap News Agency, "NewJeans' Hanni attends parliamentary hearing…," 2024年10月15日。
https://en.yna.co.kr/view/AEN20241015009500315同日の国会環境労働委員会における参考人質疑。Reutersも同趣旨の報道を行っている。 ↩︎ ↩︎ ↩︎Yonhap News Agency, "Hybe launches audit into NewJeans' label ADOR over alleged independence move," 2024年4月22日。 ↩︎
Yonhap News Agency, "ADOR files injunction to prevent NewJeans from signing independent advertising contracts," 2025年1月13日。申立ての範囲はのちに音楽・芸能活動全般へ拡張された。 ↩︎
仮処分異議棄却決定、2025年4月16日。メンバー側は即時抗告した。 ↩︎
間接強制決定、2025年5月30日。違反1回につき1人あたり10億ウォンの支払いを命じるもの。 ↩︎
Yonhap News Agency, "All NewJeans members did not file appeal… lower court ruling final," 2025年11月14日。判決直後の「即時控訴」表明にもかかわらず、期限内に控訴はなされなかった。 ↩︎
Yonhap News Agency, "Hybe appeals court's put option ruling for ex-CEO of ADOR," 2026年2月20日。同月、支払いの執行停止も認められており、一審判決は未確定である。 ↩︎
Yonhap News Agency, "ADOR files suit against Danielle, ex-chief Min seeking 43.1 bln won in compensation," 2025年12月30日。2026年7月時点で、公開資料上の終局判断は確認できていない。 ↩︎
Yonhap News Agency, "NewJeans signals return as 4-member group with new video, photos," 2026年7月22日。 ↩︎