おいでませ山口——日本の「資源国家」

Welcome to Yamaguchi, Japan's Resource State: Reading a Prefecture Without a Center

著:霧星礼知(min.k)|mncc.info / Author: Reichi Kirihoshi (mncc.info)


山口県を鉄道で移動すると、同じ県内なのに妙に遠い。下関、宇部、山口、防府、周南、岩国、萩、長門、美祢。どの街にも歴史と産業と見どころがあるのに、一度に回ろうとすると経路がきれいにつながらない。

「山口県は広いからだ」と最初は思った。だが調べると、山口県の面積は6,112平方キロメートル、全国23位である。特別に広くはない。ちょうど真ん中だ。

それでも遠い。理由は、広さではなかった。中心がないのである。


1. 山口は広いのではない。中心がない

県都と最大都市が一致しない県

2025年の国勢調査速報値で、山口県の市の人口はこうなっている。下関市23万8千、山口市19万、宇部市15万3千、周南市13万1千、岩国市12万、防府市11万。

県庁所在地は山口市だが、最大都市は下関市である。そして最大都市の下関でさえ、県人口126万のうち約19パーセントしか抱えていない。広島県における広島市、福岡県における福岡市のような圧倒的な首位都市が、この県には存在しない。

面積の内訳も奇妙だ。山口市の面積は1,023平方キロメートルで、県土の約17パーセントを占める。県内で最も広い自治体が県庁所在地であり、しかも人口では二番手である。行政上の格と経済上の格が一致していない。

都市が県外を向いている

さらに、山口県の都市は互いを向いていない。

県西部の下関市は関門海峡をはさんで北九州・福岡と結びついている。県東端の岩国市は広島都市圏の側にある。県東部の人が「都会に出る」と言えばそれは広島であり、県西部の人にとっては福岡である。

日本海側の萩市と長門市は、山陽側の都市群と山で隔てられている。萩は幕末史の中心地でありながら、山陽新幹線からは遠い。長門市は山陰本線と美祢線の分岐点だが、どこから行っても微妙に遠い。

宇部市、周南市、防府市は、県庁所在地の衛星都市として育ったのではない。港と工場と企業が、それぞれ独立に街をつくった。

山口県は、一つの中心から周縁へ広がった県ではない。 複数の都市が、それぞれ別の外部へ向かって発達した県である。

山口が遠いのは、広いからではない。街同士を経由する理由がないからである。


2. 山口は、かつて資源がありすぎた

地面から出るものが街をつくった

山口県が「何もない県」に見えるとすれば、それは記憶の問題だ。この県には、かつて資源がありすぎた。

美祢市の大嶺炭田は、日本最大の無煙炭産地だった。宇部炭田は瀬戸内海の海底へ坑道を伸ばした。美祢の石灰石は現在も採掘が続いている。宇部と小野田にはセメントと化学の工場が並び、周南には石油化学コンビナートが、下関には港湾と造船と水産業が、岩国には化学と製紙が集まった。

石炭、石灰石、セメント、化学、港湾。これらが都市をつくり、工場をつくり、港をつくり、そして鉄道をつくった。

大嶺炭田は、海軍の炭田だった

大嶺炭田の成立は、旧ソ連の資源開発に似た構図を持っている。国家が資源を必要とし、国家が鉱区を買い、国家が鉄道を引いた。

1904年4月、日露戦争開戦の直後、海軍は大嶺の無煙炭鉱区を買収した。無煙炭は煙が少なく、艦船の燃料として都合がよかった。徳山には練炭製造所が置かれることになったが、大嶺から石炭を運び出す手段がなかった。

そこで山陽鉄道が、厚狭から大嶺までの鉄道を急いで建設する。開業は1905年9月13日。ポーツマス条約が締結されたのは、その8日前の9月5日である。

つまりこの鉄道は、日露戦争のために建設され、日露戦争が終わってから開業した。国家が資源を必要とすると鉄道が生まれ、必要がなくなっても鉄道は残る。それは山口県の資源鉄道全体の性格を、最初に予告していたようにも読める。

現在の景観に残る、かつての規模

いまの山口県を車窓から眺めると、規模の合わないものが目につく。現在の集落人口には大きすぎる学校。閉じた商店街。使われていない社宅跡。広すぎる道路。貨物駅の跡地。

これらは「もともと何もなかった土地」の風景ではない。一度は成立していた生活圏が、器を残したまま縮んだ風景である。


3. 資源国家を支えたものを、繁栄だけで数えない

ここで一度、比喩を止める。

宇部炭田は海底炭田である。海の下を掘るという条件は、常に海水流入の危険と隣り合わせだった。そして実際に、事故は繰り返し起きている。

1915年、東見初炭鉱で海水が流入し、234人が死亡した。1950年には若沖炭鉱で同種の事故が起き、35人が亡くなっている。

そして1942年2月3日、長生炭鉱で海底坑道が崩落し、海水が流入して183人が犠牲になった。うち136人は朝鮮半島出身の労働者、5人は沖縄出身者だったとされる。戦時下の石炭増産体制のもとで起きた事故である。坑道はその後封鎖され、遺骨の大半は地上へ戻っていない。

近年、市民団体による潜水調査が進み、2024年9月には水没していた坑口の掘削に成功した。だが2026年2月7日、事故から84年目の追悼式典が行われていたその日に、潜水調査中のダイバーが亡くなっている。

「資源がありすぎた」という言葉は、繁栄だけを意味しない。

資源国家を支えたものを数えるなら、採掘量や貨物列車の本数だけでなく、そこで働き、そこで失われた命も数えなければならない。この節に、笑いを置く場所はない。


4. 宇部は、悪い石炭から工業都市をつくった

売れない石炭が、加工する街を育てた

宇部の面白さは、資源に恵まれたことではなく、恵まれ方が中途半端だったことにある。

宇部炭は品位が高くなかった。炭層は薄く、炭質は劣り、九州の炭田と同じようには商品にならなかった。中央の大資本が本気で乗り込んでこなかったのも、そのためだったとされる。

そこで1897年に沖ノ山炭鉱組合を設立した渡辺祐策らは、方向を変える。掘った石炭をそのまま売るのではなく、セメント製造の燃料として、硫酸アンモニウムなどの化学肥料の原料として、自分たちで使うことを選んだ。

渡辺祐策には、石炭は有限だがその利益を工業へ転化すれば石炭が尽きても工業が残る、という趣旨の言葉が伝えられている。実際にそうなった。1942年、沖ノ山炭鉱、宇部セメント製造、宇部鉄工所などが合併して宇部興産が発足する。1960年代までに炭鉱はすべて閉山したが、化学とセメントと機械の街は残った。

宇部は、良い石炭を持っていたから工業都市になったのではない。 石炭をそのまま売るだけでは足りなかったから、加工する都市になった。

宇部=瀬戸内のノヴォクズネツク

炭田を起点に重化学工業都市へ転換し、公害を経験し、閉山後も工業都市として存続した。この構造は、シベリアのノヴォクズネツクと重なる部分がある。

ただし相違は大きい。ノヴォクズネツクは国家計画による製鉄都市であり、都市規模も違う。宇部は徹頭徹尾、民間企業が主導した企業城下町である。比喩として使えるのは「炭鉱起源の都市が、採掘後も加工産業によって生き残った」という一点までだ。

そして、この「民間企業が主導した」という点が、この記事の後半をまるごと支配することになる。


5. 鉱山と工場と港を、一枚にまとめた鉄道網

山口県西部にあったのは、都市間を便利に結ぶ鉄道ではなかった。鉱山、工場、港を一体の産業装置にするための輸送網である。

流れはこうだ。大嶺炭田と美祢の石灰石地帯から、美祢線と大嶺支線が石炭と石灰石を降ろす。宇部線と小野田線とその支線群が、それを宇部・小野田の化学工場とセメント工場へ運ぶ。そして瀬戸内海側の港から出荷される。

注目したいのは、この網の出自だ。宇部線と小野田線は、もともと国鉄が敷いた路線ではない。石炭輸送のために地元が設立した私鉄が、戦時買収によって国有化されたものである。美祢線の一部区間も、美祢軽便鉄道として始まっている。

つまり山口県西部の鉄道は、公共交通として計画されたのではなく、企業の物流として計画され、あとから公共交通の顔をした。この順序は、あとで逆回転する。

いま残っているものは断片的だ。大嶺支線は1997年4月1日に廃止された。小野田線の本山支線は、雀田から長門本山までの2.3キロが1日3往復だけ生き残っている。朝に2本、夕方に1本。かつて炭鉱と工場のために引かれた線路が、時刻表の隅で静止している。

山口県西部には、鉄道路線があったのではない。 鉱山、工場、港を一枚の産業地図へまとめる輸送網があった。 列車は人を便利に運ぶ前に、石炭と石灰石を運んだ。

6. 同じ雨で壊れて、片方だけ戻ってきた

ここが、この記事でいちばん書きたかった章である。

2023年6月30日の雨

2023年6月30日から7月1日にかけての大雨で、山口県の二つの鉄道が壊れた。

一つは美祢線。第6厚狭川橋梁が崩落し、全線で約80か所が被災した。もう一つは山陰本線の長門市〜小串間。粟野川橋梁などが被害を受け、こちらも長期運休に入った。

結果は分かれた。

山陰本線は、2024年6月22日に長門市〜人丸間と滝部〜小串間が再開し、2025年9月27日に人丸〜滝部間が復旧して全線がつながった。約2年3か月かかったが、鉄道として戻ってきた。

美祢線は戻らない。2025年7月16日の協議会でBRTを基軸とする方向が確認され、8月7日に県と沿線3市がバス高速輸送システムへの転換で合意した。同年10月に法定協議会が立ち上がり、2026年12月末までに計画を策定する予定になっている。運行開始は計画決定から2年から4年後の見込みだ。

「特急がないから」でも「利用が少ないから」でもない

ここで、よく語られる説明が二つとも崩れる。

一つ目は「特急が走っているかどうか」。山陰本線の益田〜下関間には特急が走っていない。2005年に「いそかぜ」が廃止されて以降、山陰本線で唯一、特急のない区間である。それでも復旧した。

二つ目は「輸送密度が低いから」。2024年度のJR西日本の公表値では、美祢線の厚狭〜長門市間が307人/日。復旧した山陰本線は、益田〜長門市が210人/日、長門市〜小串が185人/日である。

つまり、復旧した側のほうが、利用が少ない。

分けたのは、費用と時間と、道路の有無

では何が分けたのか。少なくとも三つある。

一つは復旧規模。美祢線の鉄道復旧費は約58億円、所要期間は最短でも10年という試算が出ていた。80か所という被災箇所数は、橋梁1本の復旧とは次元が違う。

二つは維持の負担。上下分離方式が検討されたが、年間3億円以上を自治体が負担する枠組みに、沿線市の財政的な余力がなかった。

三つは代替交通の存在。美祢線に並行する道路は、そこにある。厚狭から美祢、長門市へ、バスは走れる。だから「鉄道でなければ困る」という論拠を立てにくかった。

そして山陰本線は、日本最長の在来線として支線を含め676キロを一本でつないでいる。その途中が切れたままだと、路線そのものの連続性が失われる。観光列車も、寝台列車も通れなくなる。

同じ雨で壊れた鉄道でも、すべてが同じようには戻らない。 復旧されるかどうかを決めるのは、線路の傷の深さでも、乗客の数でもない。 その線路が、いまの交通網の中で何をつないでいるかである。

28億円で1分

美祢線のBRT計画には、もう一つ数字がある。

2026年2月の協議会で、バス専用道の候補区間が3か所示された。そのうち南大嶺〜美祢間の2.5キロに専用道を整備すると、市街地と交差点を避けられる。費用は約28億円。時間短縮の効果は、約1分である。

この数字を覚えておいてほしい。次の章で、まったく逆の判断をした組織が出てくる。


7. 資源鉄道は消えたのではない——宇部伊佐専用道路

貨物列車は、山口線とともに死んだ

美祢の石灰石も、大嶺の石炭も、かつては鉄道で運ばれていた。では、その貨物列車はいつ消えたのか。

最後まで残っていたのは「岡見貨物」と呼ばれた列車である。美祢駅と山陰本線の岡見駅を、山陽本線と山口線を経由して1日1往復。伊佐で製造された炭酸カルシウムを三隅発電所へ運び、発電所で発生したフライアッシュを伊佐のセメント工場へ戻す。行きも帰りも積んでいる、よくできた列車だった。

これが2013年7月の豪雨で止まる。山口線が不通になったからだ。トラック代行に切り替えられたが、同年10月には三隅発電所側のトラブルが重なり、そのまま運行は再開されなかった。2013年度末で廃止、2014年4月1日にJR貨物の第二種鉄道事業も廃止された。

つまり山口線は、2014年8月に旅客列車として復旧したが、貨物としては復旧しなかった。同じ雨で壊れた同じ線路の上で、人は戻り、石灰石は戻らなかった。

そして石灰石が鉄道に戻らなかった理由は、単純である。すでに別の道があったからだ。

日本一長い私道

宇部市から美祢市までの31.94キロ。宇部伊佐専用道路。私道としては日本最長で、現在はUBE三菱セメントが保有している。

旧宇部興産が建設したもので、当時の名称は「宇部・美祢高速道路」、通称は宇部興産専用道路。1960年代末に着工し、1970年代に部分供用が始まり、1982年の興産大橋供用によって全線が開通した。一般の高速道路と同じ基準で建設され、区間によって片側2車線と1車線がある。

走っているのは、総重量が約130トンに達するダブルストレーラーである。1台の牽引車が2台のトレーラーを引く。日本の公道では走れないサイズなので、ナンバープレートは付いていない。運転するには大型免許と牽引免許のうえに、指導員同乗の約1か月の教習と社内認定試験の合格が必要になる。年間の出荷量は約350万トン規模とされる。

免許も規則も、教習も認定も、路面の補修も沿線の管理も、すべて自前である。そこでは企業が、道路を所有するだけでなく、交通秩序そのものを運営している。

経営判断としての道路

この道路がなぜ生まれたかという話が、いい。

石灰石の輸送手段として、当時の社長・中安閑一はベルトコンベアー、鉄道、道路の3案を比較させた。建設費と経済性だけで見れば、ベルトコンベアーがもっとも有利だと判断されたという。それでも道路が選ばれた。

理由は、ベルトコンベアーでは運べる貨物の種類が限られ、大型機材を運べないこと。鉄道は国鉄と競合すること。そして道路であれば多目的に使えて、美祢地区の地域振興にも寄与できること。100年先を想定した投資という前提での判断だったと伝えられている。

もっとも高い案を、もっとも長く使えるという理由で選んだ。そして実際に、50年たっても使われている。

前章の28億円で1分という数字を思い出してほしい。同じ県の、ほとんど同じ区間で、企業は32キロの専用道路を自前で建設して半世紀動かし続け、公共側はいま2.5キロの専用道をつくるかどうかで悩んでいる。

これは公共側の怠慢という話ではない。判断の基準がそもそも違うのだ。企業は自社の物流という単一目的に100年で投資できる。公共交通は、誰がどれだけ負担するかを合意しなければ1メートルも敷けない。

私有回廊化

著者(霧星礼知)が仮に「私有回廊化(Privatized Corridor Shift)」と呼んでいる現象がある。

公共インフラが撤退したあとの空白が、放置されるのではなく、企業が所有し企業が管理する閉じた回廊によって埋められる。外からは何も走っていないように見えるが、実際には見えない場所で以前より大量に運ばれている。撤退と消滅は同じではない、ということだ。

山口県の資源物流は縮小したのではない。人の目に触れる公共鉄道から、企業の私有回廊へ移った。線路が消えたあと、資源は道路を走り始めた。

旧ソ連型の資源鉄道が消えたあと、宇部には企業国家の資源道路が残った。

念のため書いておくと、これは企業が主権国家のような権力を持っているという話ではない。閉じた交通空間、専用の資格、独自の管理、企業内で完結する物流という限定された意味である。実際にはこの道路をめぐって、災害発生時に救助部隊が通行できるようにする協定が山口県警と結ばれてもいる。閉じた回廊は、必要なときには外へ開かれる。


8. 益田は、成立順序が逆のノヴォシビルスクである

さて、日本のロシアへ入る西側のゲートは、実は山口県にない。島根県益田市にある。

鉄道が街をつくったのではない

益田はノヴォシビルスクである、と書きたくなる。山陰本線と山口線が分岐する結節点で、周囲の人口密度は低く、遠く離れた都市群を接続している。分岐駅としての格が、都市規模より明らかに大きい。

だが成立の順序は、まったく逆だ。

ノヴォシビルスクは、シベリア鉄道のオビ川渡河地点として1890年代に新設された都市である。鉄道が街をつくり、街が160万人規模の大都市に育った。益田は中世以来の城下町・港町として存在し、人口は4万人台で、そこへあとから鉄道が接続した。

ノヴォシビルスクは、鉄道が街をつくった。 益田は、すでにあった街へ鉄道が追いついた。

比喩として使えるのは、現在の機能だけである。規模も出自も違う。だが、比喩が半分外れることは、比喩が無意味だということではない。むしろ、どこで外れるかを見ることで、その土地の成り立ちが見えてくる。

大陸的な結節点と、徒歩数百メートルの壁

そして益田駅には、この記事でいちばん好きな構造がある。

改札は線路の南側にしかない。北側には国道191号が約300メートル先を走り、駅前広場になり得る遊休地もあるが、駅の出入口はない。南北を行き来するには、駅から東へ約300メートルの県道のアンダーパスか、西へ約500メートルの国道9号の高架を回る必要がある。市には南北自由通路の整備計画がある。

さらに、駅にはエレベーターがない。2番・3番のりばへ渡るには、階段のこ線橋か、バリアフリールートを使う。JR西日本の駅情報によれば、そのルートは移動距離約100メートル、所要時間約10分、線路の横断を含むため事前に駅係員へ申し出が必要である。

100メートルに10分。それは設備の不足を責める話ではなく、この駅が担っている役割と、この駅にかけられる費用の落差の話だ。

山陰と山陽をつなぐことはできる。 しかし駅の反対側へ行くには、少し歩かなければならない。

9. 山口線というシベリア鉄道、2両編成のロシア号

山陽と山陰を、山越えで結ぶ一本

山口県のシベリア鉄道は、山陰本線ではなく山口線である。

新山口から山口、津和野を経て益田へ。93.9キロで山陽新幹線と山陰本線を南北に接続する。この一本が止まると、山陰西部から山陽新幹線へ出る経路は大きく迂回するしかない。長距離を一本で結び、区間ごとに違う需要を拾い、止まると代替がない。シベリア鉄道の構造的な特徴は、規模を落とせばここにある。

輸送密度の落差も、この性格を裏づけている。2024年度、新山口〜宮野は5,220人/日。宮野を越えて宮野〜津和野は541人/日、津和野〜益田は433人/日。

新山口を出た列車は、宮野の先で人口密度の違う世界へ入る。段差はおよそ10分の1である。

スーパーおきは、基本2両である

その山口線を走る特急が「スーパーおき」だ。

鳥取または米子と新山口を結び、1日3往復。鳥取〜新山口の走行距離は378.1キロで、本州を走る昼行の在来線特急としては最長である。所要時間は5時間を超える。

編成は、キハ187系の基本2両。1号車が指定席、2号車が自由席。グリーン車はない。

ロシア号は、大陸を横断する。 スーパーおきは、基本2両である。

距離も編成も輸送量も、比べものにならない。だからこそ、これは日本のロシア号なのだ。

この列車は、一つの巨大な需要を運んでいるのではない。鳥取と米子、米子と松江と出雲市、島根県中西部、浜田と益田、益田と津和野、津和野と山口、山口と新山口。遠く離れた小さな需要を一つずつ拾い、継ぎ合わせることで、5時間の長距離列車として成立している。

そして益田で、この列車は性格を変える。山陰本線を西へ走ってきた特急が、山口線へ入る。成立順序が逆のノヴォシビルスクを出発して、津和野へ、山口へ、新山口へ向かう。その瞬間、スーパーおきは山陰地方のローカル特急ではなく、日本海側の遠隔地域を山越えで新幹線へ接続する連絡列車になる。

益田を出たら、脳内BGMは「さらばシベリア鉄道」でいい。車窓に雪原はない。あるのは深い緑と、川と、山間の集落と、津和野の町並みである。


10. 山陰本線西部はバム鉄である

一方、益田から西へ向かう山陰本線は、シベリア鉄道ではない。バイカル・アムール鉄道、いわゆるバム鉄の位置にある。

主幹線から外れた第二の長大路線。人口の少ない遠隔地を延々と結び、路線の長さに対して局所的な需要しかなく、維持と災害復旧が難しい。そして景観は壮大である。

体感で区分すると、こうなる。米子〜出雲市は都市間鉄道(5,245人/日)。出雲市〜益田で様子が変わる(868人/日)。益田までは特急が来る。益田〜長門市が本格的なバム鉄区間(210人/日)。長門市〜小串でさらに減り(185人/日)、小串を越えて幡生へ近づくと下関都市圏が始まって再び増える(2,084人/日)。

数字だけでなく、時刻表も効いてくる。島根・山口県境をはさむ区間は1日10往復未満で、日中に4〜5時間列車がない時間帯がある。全列車が1両か2両のワンマン普通列車である。

線路は壮大に続いている。 景色は最高である。 列車は来ない。

益田を越えたあたりから、鉄道旅行は移動ではなく覚悟になる。途中下車という概念が試されるのだ。降りたら、次はいつ来るのか。


11. 山口県内ロシア都市対応表

ここは遊びの章である。規模の一致ではなく、都市の役割についての比喩として読んでほしい。

山口市=モスクワ。 行政首都であり、県内最大都市ではない。ただしモスクワの圧倒的な求心力とは逆で、誰もが山口市を向いているわけではない。逆転したモスクワである。

下関=サンクトペテルブルク。 歴史的な港湾都市で、対外的な玄関口。県都ではないが存在感が最も大きい。

周南=ヴラジヴォストーク。 港湾と臨海コンビナート。外部物流への接続点。

宇部=ノヴォクズネツク。 炭鉱起源の加工型工業都市。閉山後も存続し、公害対策を経て都市像を作り直した。

長門市=ハバロフスク。 山陰側の地域拠点で、港と漁業があり、どこから行っても微妙に遠い。規模の差は大きいので、軽い比喩として。

萩市=該当なし。 天然ガス開発都市に当てようとして失敗した。萩は、ロシア都市に対応させること自体が難しい。帝国史の首都級の記憶を持ちながら、現在の幹線交通から外れている。比喩が届かないという事実のほうが、萩を正確に説明している。

益田=ノヴォシビルスク。 ただし成立順序は逆。

新山口=文明へのゲートウェイ。 ロシア都市の対応ではなく、旅人にとっての救済地点。


12. 廃校が語る、かつての人口

山陰本線の西部を走っていると、現在の集落の規模に対して明らかに大きい校舎が現れる。多くは使われていない。

これは「もともと人がいなかった土地」の風景ではない。炭鉱、漁業、林業、工場、鉄道が支えた人口が一度そこにあり、その人口を前提に校舎が建ち、社宅が建ち、商店街ができた。産業が撤退したあと、人は減り、建物は残った。建物のほうが人より長生きするので、時間差が景観になる。

北海道の資源都市と共通するのは、国家産業の前線として人口が集まり、撤退後に巨大な器が残った構造である。ただし印象は違う。北海道では町そのものが線ごと切断される感じがあるのに対し、山口では遺構が緑と現在の生活の中へゆっくり沈んでいく。

山口の過疎は、何もなかった土地が静かなのではない。 一度成立した生活圏が、建物を残したまま縮んでいる。

13. 新山口のお土産屋で、文明へ帰還する

スーパーおきが山口線を南下する。津和野、山口、湯田温泉を過ぎ、宮野の先で人口密度が戻ってくる。かつて蒸気機関車の車庫だった転車台のある車両基地を通過すると、新山口に着く。

新幹線ホームがある。駅が大きい。食べ物が買える。お土産が選べる。

県内の各都市へ散らばっていた旅行が、ようやく日本全国の幹線交通へ回収される。

ロシア号はモスクワへ着く。 スーパーおきは、新山口のお土産屋へ着く。

文明はまだ死んでいない。


山口県は、日本のロシアである。ただしそれは、国土面積が大きいからではない。

資源が都市をつくり、その都市が広域に分散し、それぞれが別の外部を向いて発達したからだ。行政首都の山口市があり、歴史的港湾都市の下関があり、炭鉱起源の加工型工業都市の宇部があり、臨海工業都市の周南があり、幹線交通から外れた歴史都市の萩と長門がある。その北東に、成立順序が逆のノヴォシビルスクこと益田がある。

山口線というシベリア鉄道が山陰と山陽を結び、山陰本線西部というバム鉄が日本海岸を進む。美祢線、宇部線、小野田線とその支線は、かつて鉱山と工場と港を一体化していた。

そのうち美祢線は、鉄道として戻らない方向へ進んでいる。それでも美祢の資源は動いている。宇部伊佐専用道路を通り、ナンバープレートのない130トンの車両によって、企業の工場と港へ運ばれている。公共鉄道が終わった場所で、企業の資源回廊は今日も生きている。

見えなくなったものは、なくなったものとは限らない。それは山口県の産業についても、この県の街々についても、たぶん同じことだ。

益田を出たスーパーおきが、山口線へ入る。列車は基本2両である。巨大な需要を運ぶのではなく、遠く離れた小さな需要を、一つずつ拾いながら走る。

車窓に雪原はない。深い緑と、川と、山間の集落と、津和野の町並みがある。

そして列車は、新山口へ着く。新幹線がある。お土産屋もある。

おいでませ山口。日本のロシアへ。


☕️よかったらコーヒー一杯。 https://buymeacoffee.com/mink_obs

著:霧星礼知(min.k) / リサーチ・構造支援:Claude Opus 5、ChatGPT、Perplexity / AI-assisted / Structure observation


参考文献

  • 西日本旅客鉄道「2024年度区間別平均通過人員(輸送密度)について」(2025年8月6日)
  • 西日本旅客鉄道「山陰線 人丸駅〜滝部駅間の運転再開について」(2025年8月21日)
  • 西日本旅客鉄道「山陰線(須佐〜奈古駅間)、山口線(地福〜津和野駅間)の運転再開見込みなどについて」(2014年)
  • 西日本旅客鉄道「益田駅 駅情報」(バリアフリールート)
  • 山口県「美祢線沿線地域公共交通協議会」関連資料
  • 日本経済新聞「美祢線、全線BRT化で合意 復旧巡り山口県と沿線3市」(2025年8月7日)ほか関連報道
  • 中国新聞「美祢線、鉄道復旧断念 BRT転換さらに議論を」(2025年7月18日)
  • まいどなニュース/神戸新聞「全長約32km…セメント会社が作った日本一長い私道『宇部伊佐専用道路』」(2023年)
  • 総務省統計局「令和7年国勢調査速報値」、国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」
  • 宇部市ときわ公園 石炭記念館「宇部炭田の歴史」
  • 官阪武士「山口県石炭鉱業と関連する化学工業の発展」(産業技術史)

For international readers

Yamaguchi Prefecture at Japan's western tip is often called empty or inconvenient, but its real peculiarity is structural: it has no dominant central city. Its largest city, Shimonoseki, holds under 20 percent of the prefecture's population, and its western and eastern halves orient toward Fukuoka and Hiroshima rather than toward each other. This essay reads that dispersal through resource history — naval anthracite mines, low-grade coal that forced Ube to become a chemical city, and a rail network built to link quarries, factories and ports rather than to serve passengers. The turning point is a comparison of two lines destroyed by the same 2023 rainfall: the San'in Main Line was fully restored by 2025 despite lower ridership, while the Mine Line will be converted to bus rapid transit. What replaced rail freight was not nothing, but a 31.94 km private road owned by a cement company, on which unregistered 130-ton double trailers still run under company-issued licences and company-written rules.

Keywords

Yamaguchi Prefecture, polycentric region, resource economy, coal mining history, Ube Kosan, Ube-Isa private road, Mine Line, BRT conversion, San'in Main Line, Super Oki, Trans-Siberian Railway analogy, industrial heritage, privatized infrastructure, Reichi Kirihoshi