なぜ、多くの組織では、案件が毎回同じような形でしか成立しないのか。
役割分担は曖昧なまま。
必要な判断をする人も決まっていない。
納期だけは動かせず、途中で足りない仕事が次々に見つかる。
そのたびに、状況を理解できる人が前提を整理し、関係者を調整し、責任の空白を埋める。最後は誰かの長時間労働や属人的な判断によって、どうにか納期へ間に合わせる。
案件が終わると、「大変だったが、協力して乗り切った」と総括される。
しかし、役割の決め方も、仕事の配分も、意思決定の仕組みも変わらない。
そのため、次の案件でもまた、同じように曖昧な体制で始まり、同じように一部の人へ負荷が集中し、同じように人力で成立させることになる。
なぜ、この繰り返しは止まらないのか。
この問いに対する答えは、単純な人材不足ではない。
問題は、構造を疑う人が少ないことだけではない。
構造を疑っても評価されないこと。
さらに、構造を見られる人ほど、その空白を埋める仕事を押しつけられること。
この三つが重なっている。
まず、問いを立てる人が少ない。
多くの人は、自分に割り当てられたタスクをどう終わらせるかを考える。
なぜこのタスクが発生したのか。
誰の判断が欠けた結果なのか。
このタスクを終えることで、次にどこへ負荷が移るのか。
そもそも、この仕事の作り方を変えるべきではないか。
そうした問いは、仕事の範囲外として扱われやすい。
次に、問いを立てるインセンティブがない。
構造上の問題を指摘しても、すぐに売上が増えるわけではない。
納期が縮まるわけでもない。
目に見える成果物が増えるわけでもない。
むしろ、話を複雑にする人として扱われる。
受注範囲を見直すべきだ。
兼務を減らすべきだ。
顧客にノーを言うべきだ。
責任分界を引き直すべきだ。
こうした指摘は、短期的には仕事を止める。
だから、構造を疑う人より、目の前の案件を黙って進める人の方が、組織にとって扱いやすい。
そして三つ目に、問いを立てられる人ほど負荷が集中する。
構造の空白に気づく人は、そのままでは仕事が成立しないことも分かってしまう。
誰も決めていない前提を整理する。
責任の所在を確認する。
要求を現実的な形へ翻訳する。
品質、納期、運用、コストの矛盾を調整する。
結果として、その人は構造を改善する前に、構造の不足を自分で埋め始める。
能力があるから、任される。
任されるから、さらに忙しくなる。
忙しくなるから、構造を考える余裕がなくなる。
最終的には、問題を最もよく理解している人ほど、問題を変えるための時間と権限を失う。
ここまで見ると、原因は個人ではなく、評価軸にある。
評価軸が「タスクをこなしていること」である限り、この問題はメンバー、管理職、役員のすべてを貫通する。
メンバーは、割り当てられた作業を終えることで評価される。
だから、構造を疑う動機がない。
管理職は、部門の納期や案件完遂で評価される。
だから、別の場所へ負荷を移してでも、目の前の案件を成立させる方が合理的になる。
役員は、売上や案件数や数字で評価される。
だから、構造改革は短期的な生産性を落とすリスクに見える。
各階層は、自分の評価軸に沿って合理的に動いている。
しかし、その合理性を積み上げると、組織全体では改善不能になる。
仕組みを作る仕事は、目に見えにくい。
問題を未然に防いでも、何も起きなかったという結果しか残らない。
無理な案件を断っても、失われた売上だけが見える。
役割を整理して属人化を減らしても、誰かが必死に走ったという分かりやすい物語は生まれない。
一方で、炎上した案件を人力で鎮火した人には、成果が見える。
残業して間に合わせた。
関係者と調整した。
トラブルを収束させた。
何とか納期を守った。
組織は、火事を防いだ人より、火事場で走った人を評価しやすい。
その結果、火事を防ぐ仕組みより、火事を消す能力が蓄積される。
これは、タスク完遂を評価することが悪いという話ではない。
問題は、発生し続けるタスクを大量に処理した人の方が、タスクそのものを減らす仕組みを作った人よりも、仕事をしているように見えることである。
だから、仕組みを作る仕事が評価されない組織では、仕組みの不在を有能な個人が埋めることになる。
そして、その個人が疲弊して離れると、組織はまた別の有能な人を探す。
必要なのは、次の優秀な人材ではない。
一人の人間が、組織全体の判断不足や責任の空白を埋めなくても仕事が成立する仕組みである。
なぜ、多くの組織では、案件が毎回同じような形でしか成立しないのか。
それは、仕事を成立させる仕組みを作ることよりも、仕組みの不在によって発生したタスクを処理することの方が、全階層で評価されるからである。
タスク処理を評価する組織は、タスクを生み続ける構造を温存する。