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「相手に平気でコミュニケーションコストを支払わせる人間」からは離れよう、という話

最近、「相手に平気でコミュニケーションコストを支払わせる人は危ない」と思うようになった。

人と関わる以上、コミュニケーションにコストがかかるのは当然だ。

説明する。確認する。相手の意図を読み取る。言葉を選ぶ。認識がずれたら修正する。

問題は、そのコストを一方にだけ負担させても平気な人である。

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最近、それを強く感じた場面が二つあった。

一つは精神科だった。

診察では、こちらが話す内容だけでなく、話す順番までかなり整理しないと意図が伝わらない。

少し説明が足りないと、こちらが意図していない方向に話を解釈される。

そうすると、今度はこちらが訂正しなければならない。

相手の反応を予測しながら、

「この順番で話したほうがいい」
「ここは誤解されそうだから先に補足しよう」
「これは前回伝えたが、もう一度確認したほうがいい」

と考える。

さらに、依頼していた書類についても、こちらから確認しなければならないことがあった。

そのとき、ふと思った。

私は診療を受けに来ているはずなのに、なぜ診療そのものの進行管理までしているのだろう?

もちろん、患者側にも、伝わるように説明する責任はある。医師はエスパーではないし、こちらの頭の中をすべて察してくれるわけではない。

ただ、こちらが「誤解されないための説明」「話の交通整理」「前回からの引き継ぎ」「必要事項の確認」まで背負い続けなければ成立しないなら、かなり負担が偏っている。

*

もう一つは、ある飲食店だった。

料理そのものではなく、接客が妙に疲れる店だった。

店員の態度が明らかに不機嫌だったり、客に対して面倒そうな雰囲気を出したりする。

料理の入った皿まで、投げるように置かれる。

そうすると客側は、料理を食べに来ただけなのに、

「今話しかけて大丈夫かな」
「注文すると嫌そうな顔をされるかな」
「何かこちらが悪いことをしただろうか」

と余計なことを考え始める。

これも同じだと思った。

客が店員の機嫌を読みながら行動しなければならない時点で、本来店側が処理すべきコミュニケーションコストを、客側に押しつけている。

*

精神科医と飲食店。

まったく違う仕事に見えるけれど、私にはかなり似て見えた。

どちらも、本来サービスを提供する側が調整すべき部分を、相手に処理させている。

そして厄介なのは、こういう人ほど自分が相手に負担をかけていることに気づいていないことだ。

「分からなければ聞けばいい」
「ちゃんと説明してくれればいい」
「気になるなら言ってくれればいい」

彼らはそう言う。

一見もっともらしい。でも、それを毎回相手側だけがやっているなら話は違う。

質問するのもコスト。説明を組み立てるのもコスト。相手の機嫌を読みながら言葉を選ぶのもコスト。忘れられていないか確認するのもコストだ。

負担を全部相手に渡しておいて、「言ってくれればよかったのに」で済ませる人は、付き合う相手として、かなり危ない。

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人に手間をかけさせない人などいない。私も当然、誰かに手間をかけさせる。

大事なのは、自分が相手の時間や注意力を使っていると認識できることだと思う。

「説明不足だった」
「確認させてしまった」
「こちらで整理しておけばよかった」

そう思える人なら、関係は修正できる。

逆に、相手がどれだけ疲れていても、その負担を「コミュニケーションだから当然」としか思えない人とは、距離を取ったほうがいい。

最近は、コミュニケーション能力とは、話がうまいことでも愛想がいいことでもないと思っている。

相手の頭の中にも処理負荷がかかっていると想像できること。

そのコストを、当然のように他人へ押しつけないこと。

そして、こちらばかりがそのコストを払い続けていると気づいたら、相手を理解させようとさらに努力するのではなく、離れること。

コミュニケーションのために消耗し続けなければ維持できない関係は、たぶん維持しなくていい関係だ。