世界中を参照しているのに、「世界観」は閉じている——『原神』とアニメ的記号の「自己参照」
Referencing the Whole World While Remaining Closed Within Its Own World — Genshin Impact and the Self-Reference of Anime Signs
著:霧星礼知(min.k)|mncc.info / Author: Reichi Kirihoshi (mncc.info)
アニメやゲームは現実逃避だ、という批判は、昔からあるものだ。
この記事で考えたいのはそれとは別の話で、ほとんど反対向きの話でもある。
かつての日本のアニメや漫画は、設定がどれほど荒唐無稽でも、素材の多くを現実から取っていた。家族、学校、会社、戦争、都市と地方、世代間の対立、制度、宗教、歴史。そうしたものを作品世界へ変換していたので、見終えたあとに作品の知識だけでなく、現実の人間や社会を見るための視点が残ることがあった。
だが、アニメ的なものが巨大なIP産業として国際化していく過程で、この参照先が少しずつ変わったのではないか、というのが出発点になる。
1. 参照先の移動
「現実からアニメへ」 から 「アニメからアニメへ」
以前の構図を単純化すると、現実からアニメ・漫画が作られていた。これが、過去のアニメ・漫画・ゲームから新しいアニメ的IPが作られる構図へ移っていっている。
キャラクター属性、衣装、能力、神話由来の用語、意味深な固有名詞、伏線、考察の余地。オタクがオタク作品として認識できる記号だけで、巨大な世界を組み立てられるようになった。
この点について、東浩紀は、オタク系文化の消費が個々の物語よりも、その背後にあるキャラクター属性などの要素の集積——「データベース」——へ向かっていると論じた[1]。東は当然『原神』を論じていないが、既存の記号から新しい作品を組み上げるという現象を考えるうえで、この枠組みは使えると思う。
そして、その到達点の一つとして、ここでは『原神』を取り上げる。
原神の場合
『原神』は、一見すると外部の世界に大きく開かれた作品である。確認できるだけでも、中国、日本、南アジア、ペルシャ、アラブ圏、ヨーロッパの歴史、宗教、神話、建築、衣装、言語を大量に参照している。
ただ、プレイしていて、それらが現実の中国や日本やイランを考えるための入口になっている感覚自体はあまりない。参照された文化の断片は、たいていテイワット内部の「神」「元素」「古代文明」「失われた歴史」「キャラクターの正体」「次の伏線」へ再配置される。
異文化を異常なほどの密度で参照している。しかし、作中ではその記号が現実世界へ視線を戻す窓にはならず、作品世界を大きく見せるための建材になっている。
ここでは、この状態を仮に「閉じた引用」と呼んでみたい。
2. 三人のキャラクターに見る構造
ここで、実際に『原神』の登場キャラクター3人を例に構造を見ていこうと思う。
ナヒーダ
いちばん説明しやすいのはナヒーダだ。
公式の紹介では、ナヒーダはスメールの草神であり、「Lesser Lord Kusanali(クラクサナリデビ)」と呼ばれている[2]。このキャラクターの周りには、少なくとも三つの異なる文化圏に対応物を持つ名前が重なっている。
一つ目は「Nahida」という名前そのものである。ゾロアスター教の女神アナーヒター(Anāhitā)は、中期ペルシア語でアナーヒード、新ペルシア語ではナーヒード(Nāhīd)という形をとる[3]。アナーヒターは水と深く結びつき、その名は「汚れなき」を意味するとされる[4]。ナーヒードの名を含む人名は、ゾロアスター教徒のあいだで近代まで使われてきた[5]。
二つ目は「クサナリ」である。仏教の本生譚『ジャータカ』の第121話『クサナーリ・ジャータカ』では、菩薩がクサ草に宿る精霊として生まれる[6][7]。草の神という設定との対応はかなり具体的だ。
三つ目は、ナヒーダの魔神としての名「ブエル(Buer)」である。17世紀に成立した魔術書『ゴエティア』には、同じ名の霊が第10の霊として載っており、哲学、論理学、薬草の効能を教え、病を癒すとされる[8]。知恵、植物、治癒という属性はナヒーダとほぼ重なる。
イラン系の宗教、仏教説話、西洋の悪魔学。文化的引用として見れば、たいへん豊かな組み合わせである。
そして、これらは最終的に「スメールの草神ナヒーダ」という一つのキャラクターIPへ統合される。プレイヤーが持ち帰る問いは、アナーヒター信仰とは何だったのか、ジャータカとはどういう文献なのか、というものにはなりにくい。「ナヒーダにはこういう元ネタがある」「この名前も伏線ではないか」「この設定とあの設定がつながっている」という、原神内部の考察へ回収されやすい。
なお、HoYoverseがこれらの由来を公式に説明しているわけではない。ここで確認できるのは、作中の名前と同じ、あるいは対応する名前が、それぞれの文化圏に存在するという事実までである。
雷電将軍
雷電将軍の場合、参照先は日本に集中している。
「雷電」は日本の雷神を思わせ、「将軍」は日本史上の政治的な称号である。稲妻という地域には、神社、桜、刀、薙刀、家紋を連想させる意匠が大量に配置されている。公式の紹介では、雷電将軍は「稲妻幕府」の統治者であり、雷の力とともに「永遠」を追い求める人物とされる[9]。Ver.2.1の告知では「一心浄土」「雷電将軍」「稲妻」「永遠」という語が一続きに並ぶ[10]。
日本文化の引用密度は非常に高い。けれども、それが徳川幕府とは何だったのか、神道とは何か、日本仏教の浄土思想とは何だったのか、という方向へ展開されることはない。ゲームの中では「永遠」という独自の主題と、雷電将軍という人物の過去と心情へ編み直される。
「将軍」「雷神」「浄土」は、日本を理解するための概念として置かれているのではない。キャラクターに奥行きと荘厳さを与える記号として働いている。
鍾離
鍾離では、中国文化の引用が濃い。
璃月という地域そのものが中国を強く意識して作られており、「仙人」の設定には道教の「仙」との対応が見られる。鍾離は往生堂の客卿で、あらゆる物事に通じた人物として紹介され[11]、礼儀や規則に詳しく、往生堂で各種の儀礼を取り仕切る人物とされる[12]。
一方で、魔神としての名「モラクス(Morax)」は中国ではなく『ゴエティア』の側にある。同書には同名の霊が載っており、天文学や諸学芸、薬草と宝石の効能を教えるとされる(写本によって表記に揺れがある)[13]。岩の神の名として、宝石の知識を持つ霊の名が選ばれていることになる。
道教の仙人、儒教的な礼、中国神話の霊獣、西洋の悪魔学。これらは最終的に、璃月の歴史、契約の神、岩王帝君、鍾離というキャラクターの物語へ整理される。中国思想を紹介することが作品の目的になっているわけではない。現実の文化は、架空世界を成り立たせる部品として高度に加工されている。
3. 引用の「行き先」
文化引用そのものの是非ではない
誤解のないように書いておくと、今回『原神』が異文化を引用すること自体を問題にしたいのではない。原神をきっかけにペルシャ神話や中国思想に興味を持った人がいることも否定しない。
問題にしたいのは作品の構造である。原神では、現実の文化を知っていることが物語を理解する前提になっていない。これまで例で見てきたように、現実の文化から断片を切り出し、キャラクターデザイン、固有名詞、神名、技名、衣装、建築、伏線としてテイワットの中で組み直す能力がきわめて高い。だから参照量は膨大なのに、作品は内部だけで意味が完結するという構造があるのである。
「世界観が豊かだ」という言葉では、この性質を説明しきれない。現実世界の意味体系を借りながら、そこから記号だけを切り離し、別の閉じた意味体系を作っている、と見るほうが実態に近いのである。
大量に「置かれる」言葉
原神を見ていると、世界の奥に設定があって、その一部が言葉として表に出てきている、という順序とは逆に感じられる瞬間がある。奥深い世界があるように感じさせる言葉のほうが、先に置かれているように見える。
天理、深淵、降臨者、神の目、世界樹、魔神、仙人、浄土、永遠、契約。
各語には後から大量の設定が付け加えられる。それでも、語が登場した瞬間から「何か巨大な背景がある」という感覚は生まれている。固有名詞そのものが、世界観を演出する装置として機能している。
これはIPとしては非常に強い。設定を確定させなくても、「この言葉にはまだ意味がある」「いつか明らかになる」「考察できる」という期待を維持できる。設定の空白までが商品になるからだ。
だから原神について「中身がない」と言うのは当たらない。設定は実際に大量にある。問われるべきは量ではなく、その設定が何を参照し、それについて考えたことが最終的にどこへ向かうのかである。
キャラクターと世界がプラットフォームになる
アニメを単独の作品としてではなく、キャラクターや商品が複数の媒体を横断して展開される文化生産として捉える議論は以前からある。マーク・スタインバーグは、日本のメディアミックスにおいてキャラクターと「世界」が消費の単位になっていく過程を論じた[14]。イアン・コンドリーも、キャラクターと世界を、制作者やファンが参加する創造のプラットフォームとして扱っている[15]。
原神は、この流れのかなり先にある。世界そのものが、数年単位で拡張され続けることを前提に設計されている。拡張可能な世界にとって、現実の文化は尽きない素材の供給源になるのである。
4. 作品が国境を越えるときに残るもの
こういった記号をばら撒いておくようなスタイルの成立に、関連していそうな現象を考えた。
共有設定集としての現実社会
古い日本のアニメや漫画を日本国内で見るとき、受け手は作品の背景にある日本社会をかなり無意識に補っていた。 学校、受験、部活動、会社、地方と東京、家族、高度経済成長、戦後、男女関係、世代間の関係。作品がいちいち説明しなくても、現実の社会が巨大な共有設定集として後ろに控えていた。
しかし、アニメが海外へ出ていくと、この共有背景は弱くなるという現象があるのである。
運びやすい「記号」
岩渕功一は、日本のポピュラー文化がアジアで流通する過程を分析し、国境を越えやすい商品と、生産国の文化的な「匂い」との関係を論じた[16]。岩渕自身の議論は受容とローカライズの側に重心があるが、ここから一つの仮説を立てることはできる。
国境を越える過程では、社会的な文脈よりも、翻訳しやすい記号のほうが流通しやすかったのではないか。キャラクター、髪型、衣装、属性、能力、関係性、魔法体系、神話語彙、世界設定。いずれも「アニメ的記号」と呼べるものである。
海外のオタク文化は、日本社会そのものを必ずしも経由せずに、「anime」という表現体系を直接消費することができた。 海外のファンが日本文化を理解できない、という話をしたいのではない。流通しやすいものが先に流通し、その市場の大きさが今度は作り手の設計を方向づける、という産業上の話である。国際市場が成立すると、作り手はその市場で理解される記号を前提に作品を組めるようになる。
東アジア規模の産業として
「日本のアニメが海外へ出ていった」という図式にも補正が要る。毛利嘉孝は、日本のアニメ産業が、早い段階から韓国や中国などを含むトランスナショナルな生産体制の上に成り立っていたことを指摘している[17]。アニメは最初から日本国内だけで完結した産業ではなかったのである。
中国の企業が作った『原神』が「アニメ的」なゲームとして世界中で遊ばれていることは、この延長で見ると不自然ではない。アニメ的記号は、特定の国の文化というより、東アジアで共有された生産と表現の体系になっている。日本の現実から日本のアニメへ、日本のアニメから海外のオタク文化へ、そこからグローバルIPへという変換を重ねるうちに、現実との接続がだんだん薄くなっていったのではないか。
5. アニメや漫画が「自己参照可能」になったあと
成熟の結果としての閉鎖
アニメや漫画は昔から、現実逃避である、架空の世界に閉じこもる、現実の社会を見なくなる、と批判されてきた。
実際には、昔の作品のほうが現実に接続していた可能性がある。作品を作るには現実を観察するしかなかったからだ。
アニメと漫画の表現が何十年も積み重なり、巨大な記号体系になると、事情が変わる。現実を直接観察しなくても、過去のコンテンツを参照すれば、アニメらしい世界、アニメらしいキャラクター、深そうな世界設定を作れるようになる。
アニメ文化が成熟したことで、アニメの中だけで閉じた作品を、産業として大量に成立させられるようになった。 ここで、昔から向けられてきた批判が、半世紀遅れて当てはまるようになったとも言える。
知識量と認識
アニメや漫画などのコンテンツに対して、今の時代に「有害」という言葉を使うなら、昔ながらの「現実逃避批判」とは別の意味で使いたい。
例えば、原神のプレイヤーは非常に多くのことを覚える。神名、国家、人物関係、古代文明、アイテムの説明文、伏線、宗教や神話の語彙。知的な活動量は多く、考察には相応の読解力も要る。
ただ、その活動が現実を見る解像度の向上に結びつくとは限らない。大量の情報を処理し、解釈している感覚を与えながら、その思考を作品の内部で循環させることができる。知識量は増えるが、認識は増えない。考えてはいるのに、その考えが作品の外へ出ていかない。
原神が、それを意図して設計されているとは思わない。拡張し続ける世界を、実在の文化を知らない世界中のプレイヤーに届けようとすれば、自然にこういう形になる。だからこそ、同じ構造はこれからも繰り返し現れるはずである。
ナヒーダの名前の由来を三つ言えるプレイヤーが、アナーヒターについて何を知っているのか。 その問いで立ち止まれるかどうかは、作品の側ではなく、受け取る側に残されている。
☕️よかったらコーヒー一杯。 https://buymeacoffee.com/mink_obs
著:霧星礼知(min.k) / リサーチ・構造支援:Claude Opus 5.5、ChatGPT / AI-assisted / Structure observation
For international readers
Genshin Impact references an extraordinary range of real cultures — Persian, Buddhist, Japanese, Chinese, and Western occult traditions. Nahida alone carries names with counterparts in the Zoroastrian goddess Anāhitā (Nāhīd), the Buddhist Kusanāḷi-Jātaka, and the demon Buer of the Goetia. Yet these references rarely lead players back toward the real cultures they come from. They are cut out of their original systems of meaning and reassembled as building materials for Teyvat's own lore: gods, elements, lost civilizations, and foreshadowing. This essay calls this "closed citation."
The argument is not that anime and games are escapism. Older Japanese anime and manga drew heavily on real life — family, school, work, war, institutions — and left viewers with ways of seeing society. As anime accumulated decades of conventions and became a transnational IP industry, it became possible to build works almost entirely from existing anime signs. Drawing on Azuma's "database consumption," Steinberg and Condry on characters and worlds as platforms, and Iwabuchi and Mōri on transnational circulation, the essay suggests that signs travel across borders more easily than social context, and that a global market then rewards works designed around those signs. The result is a kind of thinking that is intense but stays inside the work: knowledge grows, while perception of the world does not necessarily follow.
Keywords
Genshin Impact, HoYoverse, Nahida, Raiden Shogun, Zhongli, Anahita, Kusanali Jataka, Goetia, database consumption, media mix, transnational anime industry, cultural odor, self-referential IP, worldbuilding, otaku culture
原神、ナヒーダ、雷電将軍、鍾離、アナーヒター、ジャータカ、ゴエティア、データベース消費、メディアミックス、アニメ的記号、自己参照、グローバルIP、文化引用、オタク文化、世界観
東浩紀『動物化するポストモダン——オタクから見た日本社会』講談社現代新書、2001年。https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000003043679 英訳:Hiroki Azuma, Otaku: Japan's Database Animals, trans. Jonathan E. Abel and Shion Kono, University of Minnesota Press, 2009. ↩︎
HoYoverse, "Share in my knowledge. — 'Physic of Purity' Nahida," Genshin Impact 公式サイト, 2022年10月27日. https://genshin.hoyoverse.com/ ↩︎
Mary Boyce, "ANĀHĪD," Encyclopaedia Iranica, Vol. I, Fasc. 9, pp. 1003–1011, 1989 (updated 2018). https://www.iranicaonline.org/articles/anahid/ ↩︎
Mary Boyce, "ANĀHĪD i. Ardwīsūr Anāhīd," Encyclopaedia Iranica, 1989. https://www.iranicaonline.org/articles/anahid/anahid-i-ardwisur-anahid/ ↩︎
Mary Boyce, "ĀB-NĀHĪD," Encyclopaedia Iranica, Vol. I, Fasc. 1, p. 48, 1982 (updated 2018). https://www.iranicaonline.org/articles/ab-nahid/ ↩︎
E. B. Cowell, ed., The Jātaka or Stories of the Buddha's Former Births, Vol. I, trans. Robert Chalmers, Cambridge University Press, 1895, No. 121 "Kusanāḷi-Jātaka." https://archive.sacred-texts.com/bud/j1/j1124.htm ↩︎
アルボムッレ・スマナサーラ「クサナーリ物語」日本テーラワーダ仏教協会『ジャータカ物語』No.84、2006年(原典No.121)。https://j-theravada.com/jataka/jataka084/ ↩︎
S. L. MacGregor Mathers and Aleister Crowley, eds., The Lesser Key of Solomon: Goetia, 1904, "Shemhamphorash," 第10の霊 Buer. https://www.sacred-texts.com/grim/lks/lks05.htm ↩︎
HoYoverse, "Raiden Shogun," Genshin Impact 公式キャラクター紹介. https://genshin.hoyoverse.com/en/character/inazuma?char=6&lang=en ↩︎
HoYoverse, "Version 2.1 'Floating World Under the Moonlight' Update Notice," Genshin Impact 公式サイト, 2021年9月1日. https://genshin.hoyoverse.com/en/news/detail/104016 ↩︎
HoYoverse, "'A New Star Approaches' — Version 1.1 Update Notice," Genshin Impact 公式サイト, 2020年11月9日. https://genshin.hoyoverse.com/en/news/detail/103756 ↩︎
HoYoverse, "Zhongli," Genshin Impact 公式キャラクター紹介. https://genshin.hoyoverse.com/en/character/liyue?char=9&lang=en ↩︎
Mathers and Crowley, eds., The Lesser Key of Solomon: Goetia, 1904, 第21の霊 Marax(Morax). 表記には写本による差異がある。https://www.sacred-texts.com/grim/lks/lks05.htm ↩︎
Marc Steinberg, "Character, World, Consumption," in Anime's Media Mix: Franchising Toys and Characters in Japan, University of Minnesota Press, 2012. https://doi.org/10.5749/minnesota/9780816675494.003.0005 ↩︎
Ian Condry, The Soul of Anime: Collaborative Creativity and Japan's Media Success Story, Duke University Press, 2013, Ch. 2 "Characters and Worlds as Creative Platforms." https://doi.org/10.1215/9780822397557 ↩︎
Koichi Iwabuchi, Recentering Globalization: Popular Culture and Japanese Transnationalism, Duke University Press, 2002. https://www.dukeupress.edu/recentering-globalization ↩︎
Yoshitaka Mōri, "The Pitfall Facing the Cool Japan Project: The Transnational Development of the Anime Industry under the Condition of Post-Fordism," International Journal of Japanese Sociology 20, no. 1 (2011): 30–42. https://doi.org/10.1111/j.1475-6781.2011.01146.x ↩︎